8/21/2010

Anne of Green Gables

赤毛のアン グリーンゲーブルズへの道 (☆☆☆★)

監督として高畑勲、場面設定・画面構成で宮崎駿、キャラクターデザイン・作画監督として近藤喜文、脚本には神山征二郎もクレジットされているあたり、今日振り返るとなかなか豪華である。

本作は、1979年、いわゆる日曜夜の「世界名作劇場」枠で放送された『赤毛のアン』全50話のうち、冒頭6話分を劇場公開を念頭において高畑監督自らが100分に再編集した作品で、1989年に作られたのち、諸般の事情でお蔵入りしていたもの、らしい(VHS版が発売されていたことがあるみたいだが)。このたび、「三鷹の森ジブリ美術館ライブラリー」シリーズの一環として劇場公開された。

このTVシリーズ、時折、ローカル局などで再放送されているようである。が、当方、本放送のとき以来ほとんど見返す機会がなかったので、本当に久しぶりに本作をみた。もちろん、30年も前のTVアニメを再編集しただけであるから、今日の劇場公開作品とストレートに比べるべくもないのは当たり前。しかしこれはこれで、楽しく鑑賞できる仕上がりであった。

なんといっても「物語」という意味ではほんの冒頭に過ぎないところなのに、それで1本の映画としてまとまっていることに感心させられた。

冒頭6話というのは、「孤児院から引き取る男の子を迎えに行ったマシューが、手違いでやってきたおしゃべりで風変わりなアンを連れて帰るが、この手違いに驚いたマリラがいったんは仲介者のスペンサー夫人の元を訪れて孤児院に送り返そうとするも、アンの身の上話を聞いたり、別の家庭にもらわれていった場合の過酷な扱いを思い、結局、アンを養子として迎え入れることを決心、本人にそれと伝える」ところまで、である。作中での時間の流れにしてなんとわずかに3日間の出来事で、6話(本作100分)を走り切るというのは、考えてみると、並大抵ではない。

そもそものTVシリーズの構成が贅沢であったとはいえ、再編集版である本作ではそれが顕著である。話をダイジェストとして詰め込むことのをやめ、アン・シャーリー、マシュウ・カスバート、マリラ・カスバートの3人に焦点を絞り込み、その人となりや、心の動きを、それぞれの仕草、表情、台詞によって、実に丁寧に紡ぎ出す。そこに物語を、ドラマを見出していく。大きな事件やイベントはないが、決して退屈することはない。アンの突拍子もなさやおしゃべりで面倒くさいところ、それに驚いたりうんざりとしたりしながらも好意をいだいていく老兄妹を、主人公に寄り添いすぎない客観的な視点を保って見つめ、毎日繰り返している家事仕事や野良仕事の風景を手抜きをせずに見せる。こういう日常の光景を芝居として描くのは高畑監督の得意とするところであり、日常のディテイルに豊かな表現を見出すアプローチは今につながる日本のアニメの良き伝統のひとつでもある、と思う。

豊かな表現といえば、井岡雅宏の背景美術が素晴らしい。今回、上映に合わせて用意されたカード形式のパンフレット(三鷹の森ジブリ美術館ライブラリーおなじみの体裁)でも堪能することができるが、毎週毎週放送されていたTV番組だとは思えないクオリティの高さ。また、三善晃の主題歌、毛利蔵人の劇伴共に素晴らしい仕事で、こうした仕事に支えられていたからこそ、本作が原作のイメージを壊さずに忠実にアニメ化したとの評判をとることができたのだと理解できた。

惜しむらくは、BD-Rからのプロジェクション上映の映像品質が必ずしも高くないことで、スクリーンに近い座席で見ていると解像度の低さがかなり気になるものであった。まあ、公開規模も小さいことなので、劇場でかけてもらえることを感謝するのが筋ではあろう。BD上映にすればフィルムを焼いたりするのに比べ、配給コストはずいぶん下げられるものなんだろうね、きっと。

0 件のコメント:

コメントを投稿