8/27/2010

Jenifer's Body

ジェニファーズ・ボディ(☆☆★)

まあ、見に行ってみたら何故この映画が当たらなかったのかは良く分かった。映画が訴求する内容と観客層の不一致だな。

表向きは、『トランスフォーマー』シリーズで人気の出たセクシー系のミーガン・フォックスを主演にたて、主に若い男性観客をターゲットとしたエロティックなスリラーのように喧伝しているわけである。

が、実態はどうかといえば、(ストリッパーやテレフォン・セックス・オペレーター経験ののち) 『Juno』で一躍人気脚本家になったディアブロ(=悪魔!)・コーディと、失笑ものの『イーオン・フラックス』以来新作が撮れていなかったカリン・クサマの女性クリエイター・コンビによる、(1)女性をモノのように扱う自分勝手な男どもへの復讐と、(2)美人とメガネ女子の不釣合いな親友関係の複雑な真実と崩壊を描いたブラック・コメディなのだ。そりゃいったい、誰がターゲットな映画なの?ミーガン・フォックス目当ての観客に嫌な思いをさせるのが目的?

物語の中心に、男たちの注目を集めずにはいられない美人チアリーダー(ミーガン・フォックス)と、どうみても全く不釣合いな地味メガネ子(アマンダ・セーフライド)の、幼馴染みの不思議な友人関係がおかれている。親友だというこの2人だが、見かけだけでなく、考え方も行動も全く異なるように見える。美人チアは男を(文字通り)食い散らかしながら美貌を増していくが、メガネ子は地味な男と真剣交際だ。自分という存在を蔑ろにして男を食い物にしていくチアの変容に戸惑っていたメガネ子も、さすがに自分の彼氏に手をだされたら怒りが爆発する。その一方で、「親友」を酷い目にあわせた連中に復讐を果たそうとするあたりが複雑なところでもある。これは複雑な親友関係を描いた物語であると同時に、抑圧的で真面目な主人公が精神的に開放され、自立的で強い女性へと成長していくストーリーと読むことができる。そういう意味で、これは本質的に女の子映画なのである。

美人チアの変容を「オカルト」で説明するのが、『ロストボーイ』から着想を得たホラー好きの脚本家らしいところである。インディーズ・バンドが人気を獲得するためにオカルトに頼り、処女の生贄をささげたところ、「処女」ではなかった体 (Jeniffer's Body) に邪悪 ("actually evil, not high-school evil" ) なものが乗り移って生き返る。死んだ人間が何か邪悪なものに変わって戻ってくるという話はお馴染みのパターン。このプロットが、身勝手に扱われた(レイプ)されたチアが、彼女をセックスオブジェクトとしてしか見ない男どもに復讐して回る、というストーリーとして読める。その意味で、これは血塗れのフェミニスト映画でもある。

2つのストーリーが、オカルト・ホラーでくっついて、ブラックコメディ風味になっているのが本作のユニークなところであるが、正直に言ってそれが上手に融合しているようには思えない。ダイアローグにはディアブロ・コーディらしいユニークさが光っているが、字幕や吹き替えだとニュアンスがでにくいところ。カリン・クサマの演出は単調でユーモアが足りない。そもそも主演のミーガン・フォックスが演技下手だから、単なる美人チアなだけではないはずの「ジェニファー」の、(ボディはともかく)内面を感じられない。アマンダ・セーフライドがメガネをはずしてもなお可愛くないのも、ちょっと困る。そうはいいながら、このアンバランスさを楽しめる観客であれば珍品として面白がれるとは思う。本作、何年かしたら、ある種、カルト的な評価を得ているかもしれない、なんてね。

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