8/21/2010

Caterpillar

キャタピラー(☆☆☆★)

江戸川乱歩の「芋虫」をモチーフに(とはいえ著作権料を踏み倒し)、いかがわしいゲテモノ小屋の見世物の雰囲気のなかで反戦のメッセージを強烈に主張する力作。(もちろん、本作が力点を置くそうしたメッセージは乱歩が意図したものではないということなので、結果としてクレジットから外れて丁度いいのではないか。)

お国のためと戦地に送り出されたが、両手脚を失い、聴覚も言葉も失って帰郷した夫は、武勲にたいして勲章を与えられ、生ける軍神と祭りはやし立てられるが、食べて、排泄し、口に挟んだ鉛筆で「ヤリタイ」と紙に書いてセックスを要求するだけの肉の塊である。その世話を押し付けられた妻は、貞淑な妻の鏡を演じつつ、やがて、かつては自分に暴力を振るった夫を精神的な支配下に置くことに快感を覚えるようになっていく。異常な性欲に端的なように、醜い姿になってなお生きることへの執着があった夫だが、妻との立場が入れ替わり、やがて、戦地で暴虐の限りを尽くした罪悪感に苛まされるようになる。時は流れ、玉音放送が流れる夏の日、家を這い出した夫は、水の中に身投げして命を絶つ。

原作者(?)の意図は別として、戦争というものの非人間性、「お国のため」の一言で思考停止に陥ったバカバカしさを、ある夫婦の息詰まる愛憎の中に凝縮させた力技が本作の白眉である。ここで描かれる「反戦」は、「戦争で四肢を奪われて悲惨ですね」という次元の話ではない。そういう状況を作り出した権力に対する怒りである。戦争の醜さや非人間性を訴えるのに、巨大なセットや派手な戦闘シーンは必ずしも必要ではない、ということを思い知らされる。大胆な発想と描写によってメッセージを語りつくそうとする若松監督の、インディペンデント魂の迫力がここにある。

寺島しのぶは演技賞の受賞も当然と思われる憑依的な熱演で、芋虫男に対する複雑な感情とその変化を演じきっており、その表情が、その視線がスリリングである。VFXの力を借りて四肢をなくした大西信満の台詞のない演技もすごいが、「クマ」という役名の、村の知恵遅れ男を自然体で演じる篠原勝之がいい。あの男、バカのフリをして徴兵を免れていたんじゃないか、そうやって反戦の思想を貫いた人間がいてもおかしくない、と想像をめぐらせる余白があるところがいい。

日本兵が戦地で残虐行為を行うなどということは断じてなかったというポジションをとりたいナルシシストなんかは、中国大陸で若い女性を陵辱し惨殺してきた芋虫男の設定に反発したりするのかもしれない。また、国家という権力を象徴するものとして昭和天皇・皇后の写真を度々挿入することについても不快感を覚える向きがあるんだろう。しかし、そういうことを云々いうのは本作の描かんとするものと向きあおうとしない心の狭い態度である。召集令状ひとつで戦地に向かわされ、命を奪い、命を落とす。それを「お国のため」と美化し、嘘の報道で国民を欺き、犠牲を正当化する。その結果はなんだったのか。ここで問われているのは、誰が正しいとか、正しくないということではなく、国家の名において行われた戦争により失われた命である。その、圧倒されるような事実を前にして、右も、左も、ない。本作が伝えようとしていることはそういうことだ。

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