2/26/1999

The Other Sister

カーラの結婚宣言(☆☆★)

サンフランシスコの裕福な家庭に、末娘が帰ってきた。精神障害で知恵遅れの彼女は、長い間、特別の寄宿学校に預けられていたのだ。帰ってきて間もないうちから「自立」を求める彼女と、なにからなにまで心配で、自分の保護下においておこうとする母親。同じような障害を持つ青年と恋に落ちた末娘の関係の行く末はどうなるのか。

ごめん、好き嫌いでいえば、嫌いなんだ、こういうの。

しかし、見方によっては危ない企画であり、よく作るよなー、と思う。精神障害を持つ男女のカップルで、ロマンティック・コメディをやるっていうんだからね。

そのカップルを演じるのが、これまた、2人とも濃い演技をするジュリエット・ルイスとジョバンニ・リビシだ。うぇ、映画の狙いや作り手の気持ちがどこにあろうと、こやつらが知恵遅れ演技にのめり込んでいるのを見せるっていうのがなかなか危ない橋だと思うんだよ。作り手は真摯なつもりでも、どうしても見世物的になっちゃうからな。この映画だって、2人の非常識な行動で笑いをとってるし。

で、作り手が真摯であればあるほど、今度は違った意味で嫌な気分になる。いや、物語としてはいいんだ。考え方としてはわかるんだ。障害者の自立とか健常者と同じように生活を楽しむ権利とか、大賛成だよ。

でもさ、差別的と非難されるの承知でいうんだけど、”Mentally Challenged” な2人のロマンスを単純なハッピー・エンドの物語にしてもいいのか?だって、よほど周囲の理解とサポートがなければ、現実問題として単なる社会の迷惑、成立し得ない話だよね。そこを綺麗ごととして描いてしまうのは、偽善じゃないんだろうか。

でも、そこはさすがのゲイリー・マーシャル監督である。主人公の家族は裕福だし、過干渉な親として悪役扱いされる母親も、寿命のある限りはきっちりと2人をサポートしていくだろう。何かがあっても、最後はカネで解決できそうな、めぐまれた環境であることは、さりげなく描かれている。そう、特殊な環境だからこそ成立する話なのだという自覚が、現実感覚が作り手の中にあるということだな。その意味では、これは、現実の中で辛く厳しい選択を迫られる人々の話ではなく、願望充足型のファンタジーだと思えばいいんだろう。

一方、もう少し普遍化してみれば、これは「親の支配を脱して自立していく子供」という、誰もが身近に感じられるテーマを、あえて極端な設定で誇張して見せているということもできる。主人公の末娘のほか、結婚寸前の次女、親に認められない相手と交際を続ける長女の存在は、この映画のテーマが広い意味で「親離れと自立」にあることを示唆して充分だろう。

主人公の両親を演じているのがダイアン・キートンとトム・スケリットである。ダイアン・キートンは、悪役扱いされたり、偽善者扱いされたりして気の毒な役回りである。トム・スケリット演ずる父親も、無関心寸前なほどに物分りがいいから、、「ヒステリックに自分の娘を支配しようとする母親」と見えてしまい、ちょっとバランスが悪い。

しかし、このキャラクターは、観客の「ホンネ」を代弁する、本作の、本当の意味での主人公であるといえる。裕福な家庭の奥様らしく、さまざまな社会奉仕活動に熱心なのだが、自分はゲイの活動を支援していても、自分の娘が「ガールフレンド」と付き合っていることを素直に容認できない、とかね。まるで、この映画を「総論賛成、各論反対」な気分でみている観客の立場を正直に代弁しているようなものじゃないか。そういう「役割」をきっちり担ってみせるダイアン・キートンは、やっぱり素晴らしい女優だなぁ。

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