2/26/1999

8mm

8mm(☆☆★)

『セブン』の次だから、『8mm』ってとこなんだろうか。アンドリュー・ケヴィンウォーカー脚本の新作は、「スナッフ・フィルム」の都市伝説をテーマにした挑発的で悪趣味なスリラーである。監督は、バットマンものでは大いにミソつけたジョエル・シュマッカー。

ある富豪の遺品のなかにあった、8ミリのプライベート・フィルムには、年端もいかぬ少女が生々しく殺害される様子が写っていた。カメラの前で本当に殺人は行われていたのかどうか、真相を確かめるべく雇われた私立探偵が、怪しい人々がうごめく危険な裏の世界に足を踏み入れていくという筋立てである。私立探偵をニコラス・ケイジ、彼に協力するアダルトショップの店員をホアキン・フェニックスが演じている。

いやはや、異様な映画である。

この映画には、都市伝説として囁かれる「スナッフ・フィルム」の世界が現実に存在しても不思議ではない、と思わせるだけのリアリティはともかく、無理やりそういう異常な世界に観客を連れ込んでいこうとする、負のエネルギーがみなぎっている。

それに、意図したことかどうかはわからないが、シュマッカーの映画としては、『評決のとき』に続いて、「私刑」を肯定する筋立てになっている。しかも、それはほぼ主人公の「自己満足」とでもいうべきものであって、映画が終わった時点で、映画が始まった時より幸せになった登場人物が一人もいないというところが悪意に満ちている。

そんなわけで、「良識的な観客」はこの映画を見ている2時間強、終始嫌な気分でいることを強いられるばかりか、とても後味の悪い思いすることになる。それだけで済むならともかく、快楽のために人の命を奪い、それをフィルムに収めるという胸糞の悪いビジネスが、日常生活のすぐ裏側に存在しているんじゃないかという、これまた胸糞悪い都市伝説をしっかりと頭に刷り込まれて家路につくことになる。

まあ、そんなものは絶対にないとも言い切れないのが嫌な世の中ではあるのだが。

この映画は、刺激的なトピックで目眩ましをしているが、おそらく、「知りたくない真実にどう向き合うか」、そして、「真実を知ったものに課せられた責任と倫理的なディレンマ」というテーマに切り込もうとしているのではないだろうか。

そして、その「真実」を暴くことを生業とするのが主人公である。

だとするならば、この主人公が、本来、この映画のテーマを背負い、主体的に苦悩する存在として描かれるべきだと思うのだが、どうもそうなっていないところに居心地の悪さを感じる。だって、ニコラス・ケイジは苦悩する表情こそを浮かべているけれども、結果として「自身の葛藤」とすべきものに周囲を巻き込み、不幸の連鎖を撒き散らす存在になってしまっているからね。そんな主人公の行動は肯定もできないし、好感を抱くことすらできないよ。

話を聞くと、当初の脚本のトーンがあまりに暗いことに躊躇したスタジオがリライトを求めたが、アンドリュー・ケヴィンウォーカーはそれをことわり、プロジェクトから離れたのだという。結局、脚本は監督自身によって手を入れられたらしい。中盤以降の、本来あるべきテーマが収まるべきところに収まらず、中途半端な「私刑肯定」映画として着地するこのチグハグした感じは、もしかしたらそんなところに起因するのかもしれない、と勝手な想像をしてみたりする。

ジョエル・シュマッカーは職人的な手腕をもった監督で、いい企画、いい脚本に出会えば『フォーリング・ダウン』のような傑作も撮る一方で、なんでこんなのひきうけちゃったの、という作品も少なくない。「バットマン」フランチャイズを殺した2本は、後者の代表といえるだろう。本作は、脚本に描かれた「尋常ならざる裏世界」に説得力を与えようとする強い意欲を感じさせはするが、せっかくの意欲が空回りしているように感じられる。最初の脚本はどのようになっていたのだろうか。少し興味を惹かれないでもない。

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