7/23/1999

Drop Dead Gorgeous

私が美しくなった100の秘密(☆☆☆)

ミネソタ州の田舎町でも、化粧品会社がスポンサーになって15年間続いているミス・コンテストの予備先行大会が行われようとしていた。17歳の出場者たちはそれぞれ自分の美しさや才能をアピールするのに余念がないが、同時に、始まった水面下での醜い争いをも密着取材のカメラは捉えていた! 

大会の出場者にデニース・リチャ-ズ、キルスティン・ダンスト、彼女らの母親を演じるカースティ・アレイ、エレン・バーキンら。マイケル・パトリック・ジャンの初監督作は、米国を蝕む(?)ミスコンを題材にした「モキュメンタリー」スタイルのブラックコメディの快作。誇張されたナンセンスさや薄気味悪さに加えて、紙一重の真実、現実の反映をしっかりと見せる脚本と演出は、なかなか技アリである。

この作品のオモシロさは、映画そのものを徹頭徹尾「擬似ドキュメンタリー」として作っていることである。作り物という意味の「モック」と合成した造語で、これを「モキュメンタリー」と呼ぶ。

こういう撮り方そのものは、最近でもティム・ロビンスが主演監督作『ボブ・ロバーツ』でやっていたりして、それ自体が斬新とまではいいきれない。しかし、こうすることで観客が映画のなかの登場人物を突き放した目でみられる距離感が生まれてくる。それは逆にいえば、登場人物の誰にも感情移入しにくい欠点ともなるが、本作では距離感がもたらす批評性が、ブラックでグロテスクな、ひねった笑いに昇華しているところが良いと思う。

ミスコンに入れ込む母と娘を演じるカースティ・アレイとデニース・リチャーズの作られた笑顔の薄気味悪さ。タップダンスを踏みながら、仕事で死人の顔に化粧をしているキルスティン・ダンストの健気なグロテスクさ。拒食症で入院しているのに笑顔をたやさない昨年の優勝者の気持ち悪さ。一見真面目なのにエロ親父ぶりが隠しきれない審査員の恥ずかしさ、など、ストレートに描くのではなく、ドキュメンタリー・クルーのカメラが真実を暴き出していくかのような演出が絶妙の味とリズムになって、オフビートな笑いを生んでいる。

地方大会だけで終わるかと思いきや、映画は引き続き州大会、全国大会とドキュメントを続ける。後半、少々盛り下がり気味になるこの構成はどうかとは思うが、作り手もそのことはわかっているのだろう、強引なアイディアでさっさとケリをつけ、地方大会出場者のその後をつけたすことで尺をだらだら伸ばさずにまとめ上げてみせた。

かつては美しかったカースティ・アレイが遂にキャスリーン・ターナー化(!)してしまった姿をみるのは、『スタートレック2』での輝けるデビューを知るものとしてはなんとなく寂しい。それに、ちょい役出演の松田聖子が日本語の台詞なのに大根演技で全く白けてしまうとか、彼女の名が「Seiko Mastudo」とクレジットされているとか、まあ、な。笑って見過ごすこととしようか。

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