10/01/1999

American Beauty

アメリカン・ビューティー (☆☆☆☆★)

映画初挑戦の脚本家アラン・ボールと監督サム・メンデスは、おそろしく知的で、非常に笑え、美しくも切ない独創的なドラマを、ブラック・コメディのスタイルで創りあげた。これは傑作だ。これから年末にかけての賞レースでも大いに話題になるに違いない。

娘の同級生に惚れた中年男が、その日から、失われた自分の人生を取り戻さんかのように変貌を遂げていく。一方、彼の変化に戸惑う妻、娘ら家族や周囲の人間も、それぞれ自分の理想を追いかけながら、日々をもがいて生きていた。郊外に住む平凡だが幸せそうに見えた中流家庭の表層のすぐ裏側にある病巣や強迫観念が、家庭の崩壊と共に暴きだされていく。

冒頭に置かれた主人公のモノローグで示唆されるように、従来通りの意味で言うハッピー・エンディングの映画ではない。しかし、ケヴィン・スペイシー演じる42歳の主人公が最後に見せた満ち足りた平穏な表情は、この作品がハッピーな結末を迎えたのではないかという錯覚を抱かせるのに十分だ。

物語は、中年男の人生に対するささやかな抵抗を主軸にして転がっていく。が、実のところ、誰が主人公というよりは、この物語の背後にある、あらゆる社会的病巣と、あらゆる悲しみと、人それぞれの美(=理想)についての物語である。極端にコメディタッチであるように見えるかもしれないが、登場人物の誰かに、どこかに、きっと共感できるリアリティを見つけることが出来るだろう。

タイトルである “American Beauty” は劇中でも様々な象徴として写り込んでいる「薔薇」の品種であるだけでなく、額面どおりに「アメリカの美」と受け取れば、あからさまな皮肉である。しかし、もっとも皮肉なことは、現代アメリカ社会の、どこにでも転がっていそうな「醜悪さ」を目一杯集めたこの120分のなかに、確かな「美しさ」が宿っていることだ。それは、醜悪な状況で、そこで必死にもがいている映画の登場人物たちに対する作り手の深い共感と愛情である。

娘の同級生に惚れ、体を鍛え始める中年親父。成功を夢見て精一杯背伸びし、満ち足りないものを浮気で埋め合わせる妻。自分が特別の人間であると信じたくて虚勢を張り続けるモデル志望の少女。狂った世の中で自分の息子だけは「真っ当」に育てることが出来たと信じている右翼的で、ホモフォビアの隣人。そんな愛すべき人々の、ささやかな夢や虚栄が崩れるまさにその瞬間を、カメラは残酷に、そして優しく、確実に捉えて白日の元にさらす。そして、我々観客は、そんな虚栄の裏側にあった魂の純粋さ・美しさを、孤独と哀しさを、見る。

爆笑を誘うセリフを連打しながらも、大胆かつ緻密で洗練された脚本と、舞台作品のような緊張感と間を持ちこんだ演出を得て、出演者は全員、奇跡のような演技のアンサンブルを見せる。ケヴィン・スペイシー、アネット・ベニング、クリス・クーパーなどのベテラン勢はいうに及ばず、ミーナ・スバリ、ソーラ・バーチらの若い俳優たちも頑張っている。

随所で挿入される既成曲の選曲センスはいうに及ばず、軽妙かつ奇妙なスコアが物語にスピード感を与えている。赤い薔薇の花びらを主人公の妄想と現実の区別に使うアイディアに呼応して、同じく赤い薔薇、赤いドア、赤いポンティアック、そして白い壁に飛び散る鮮血など、非常に視覚的な色の演出、絶妙な構図など、映画初演出とは思えない映像的な冴え。にわかに信じられないくらい完成度が高い作品に惚れ、おもわず3度も劇場に通ってしまった。

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