11/22/2008

1408

1408号室 (☆☆☆★)

『地下室の悪夢』や『ブロス・やつらはときどき帰ってくる』といったクズものを追いかけて数少ない上映館を捜し歩いたころに比べたら、『ミスト』やら『1408号室』といったまともな出来の作品を、まともな劇場で見ることができた今年はなんと幸せなことだろうか。そう、スティーヴン・キング原作の『1408号室』は、まともな役者を使い、真っ当な演出で見せる、とてもまともな映画なのであった。その事実だけで、まずはめでたい、そんなふうに思ってしまう。

これはいわゆる「邪悪な家」ものの変種である(個人的な気持ちとしては、「呪われた」というのとはちょっと違う)。邪悪な家といえば、あの『シャイニング』の原作がそうなのだが、一般に評価の高いキューブリックの映画版はその「家(ホテル)が邪悪」という原作のポイントにはかなり無頓着であったのも事実である。まあ、それが、「やつはホラーをわかっていない」という原作者の評価につながったのだろう。短編を土台としてわりと自由に膨らませように脚色している今作は、この「部屋そのものが邪悪であり、その邪悪なる存在が、人間の心の一番弱いところにつけこんでくる」というところを物語の要諦において、オカルトを信じない作家の、心の奥底に眠っている感情の澱を抉り出していく。

ジョン・キューザックが演じる主人公は作家である。かつては真っ当な小説でデビューしたこの男、いまでは「オカルトスポット」を訪ね歩いて怖さを評価付けするような本で生計を立てている。主人公の生業を説明した映画は場面をNYの名門ホテルに移す。ミステリアスな「招待」によって、辛い思い出の残るこの街やってきた主人公が最初に対峙するのがサミュエルL・ジャクソン演ずるホテルの支配人だ。独特の台詞回しとギョロ目を武器にした、ものすごい迫力と威圧感。基本的にジョン・キューザックの一人芝居になるこの作品のなかで、Aリスト級の役者が向かい合って演技を披露するこのシーンは大きな見所のひとつである。サミュエル・L・ジャクソンが得意な、演出過剰といってもよい大芝居をたっぷりと楽しむのが正解だろう。個人的には、これだけで元がとれるくらい面白かった。

主人公は、当然のことながら支配人の制止を無視して、いわくありげな部屋に入ることになる。序盤戦は安っぽい脅かしも含めて、B級ホラー調で始まる。中には、見せ方や音楽、効果音などなど故に「ホラー」になっているが、冷静に考えると、おいおい、それって怖いのか?みたいな小ネタばかり。隣の部屋のひそひそ声も、水やお湯の出がおかしい蛇口も、まともに動作しないエアコンも、使い方が良く分からない目覚ましラジオが突然へんな時間に大音量で鳴り出すのも、確かに嫌、だ。しかし、そんなものは怪奇現象とはいえまい。「オンボロ・モーテルにとまってしまった怖がりキングの妄想が爆発」したんだとなんだな、と思ってみているとかなり笑える。しかし、こんなものでもどんどん積み重なっていくことで、主人公の精神は次第に追い詰められていく。解決法を見つけたと思えば、結局のところそれが徒労に終わるという展開を繰り返していくうちに、観客は、心理的な(そして物理的な)逃げ場を失っていく主人公の、そのプロセスに感情移入させられ、主人公同様の閉塞感や絶望感を共有させられる。これが、この映画が醸し出す恐怖の源泉となる。

主人公を演ずるジョン・キューザックがうまい。先に述べたように、全編、ほぼ一人芝居状態であるが、超常現象なんて何ほどのものとふてぶてしく振舞っていた男が、徐々に「部屋」のペースに巻き込まれて正気を失い、大きな決断にいたるまでの心理状態に、説得力をもたせている。最後の最後に至って、オカルトなど信じないといっていた彼が心の奥底で、それとは反対の何かを切望していたことが示唆されるが、このあたり、彼の演技に泣かされるのだ。80年代から彼を見ている当方としては、この人が「娘を失った父親」を演じるような年になるとは信じ難いことなのだが、こちらもそれだけ年をとったということか。

2大俳優の演技対決、というのとはちょっと違うが、実力十分の役者たちが大芝居を打つさまは、映画館で見るに十分な理由足る。キングの短編ホラーの映画化で、ここまで力の入ったものを見られるとは予期しないだろうから、得した気分になれること請け合いだ。スウェーデン出身、ハリウッド・デビュー作となるミカエル・ハフストローム監督、なかなかやるじゃないか。

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