11/28/2008

The X-Files: I Want to Believe

『X-ファイル: 真実を求めて』(☆☆☆)

まあ、贔屓目に見ても、なぜ今なのかよくわからないシリーズ「最新作」なのである。でも、まあ、そういわず。

そもそも、1993年にFOXチャネルで放送が開始されたTVシリーズ『Xファイル』は9シーズンの長きに渡って人気を博した画期的なSfi ミステリーであり、2002年に放送が終了している。この間、第5シーズンと第6シーズンのあいだにあたる1998年の夏、劇場版1作目である『The X-Files: Fight the Future (Xファイル・ザ・ムービー未来と闘え』が公開されたから、今回の映画はシリーズ2本目の劇場作品ということになる。原則的に一話完結のスタイルをとりながら、シリーズ全体を貫いて異星人と政府の陰謀にまつわる連続したプロットが展開され、これがいわゆる "Mythology" と呼ばれるものである。劇場版1作目はその一部をなすストーリーであった。

TV版完結から6年、シリーズのクリエイターであるクリス・カーター自らが監督にあたった本作は、久方ぶりの劇場版という「イベント」に対して大方のファンが期待したであろう "Mythology" に連なるスケールの大きな一編、というわけではなく、猟奇的な連続殺人の捜査に協力することになった「元」FBI捜査官のモロダーとスカリーの姿を描くものである。捜査に行き詰ったFBIに請われた二人が、「幻視」による情報提供ができるという「自称超能力者」と共に、臓器移植にも絡んだ事件の真相に迫っていくという話だ。超能力者の「能力」は本物なのか?単なる偶然か?裏があるのか?事件解決の過程で2人はそれぞれの信念を試されることになる。

お話しからも察せられるように、こぢんまりと作られた作品である。なんのことはない、本作のバジェットは3,000万ドル程度だということで、6,600 万ドル程度といわれていた劇場版一作目の半分にも満たない金額、今日の基準なら小規模といっても差し支えないだろう。夏興行で惨敗したことが伝えられているが、この規模の作品だったら海外市場とパッケージ・ソフトで十分回収できるという読みもあったのか、さすが、TV屋の作る映画は経済的である。

そんなわけで、ファンの期待との異なる内容で興行的にも失敗した低予算の、旬を過ぎた「最新作」。そんなイメージからすれば、この内容が想像以上に良くできたものであるのはうれしい驚きの部類に入るだろう。

なにしろ、ここには「X ファイル」のエッセンスが詰まっているといってよい。

なんといっても、まずはその雰囲気だ。表面上は猟奇殺人事件を追うFBIという手垢のついたプロットであるのに関わらず、おそらく、"spook" という表現がしっくりくるような、「得体の知れない薄気味の悪さ」が劇場のスクリーンから漂ってくる。今回、シリーズ最初期に撮影を行い、ドラマのヴィジュアル面での雰囲気を決定付けるのに大きな役割を果たしたバンクーバーに撮影場所を戻した意図は、この、Xファイルらしいルックスを取り戻すためだったに違いない。

そして、ストーリーである。事件の顛末に常軌を逸した飛躍を用意して、単なる「猟奇的殺人」にとどまらない怪奇ファンタジー、ミステリーに仕立てるあたりはシリーズの真骨頂だが、それよりも何よりも、ドラマの中心に「I want to believe」(=原題サブタイトル)をテーマとして据えたことに意味がある。嘘かもしれない、証拠もない、論理的な説明もつかない、現実味がない、それでもなお、信じたい、信じるほかはないという強い気持ち、信念、それに基づく行動。これは、まさにこのドラマ・シリーズの中心にある大テーマといってよい。

一方、逆説的ではあるのだが、この作品が "classic" と呼びたいくらいに原点に忠実であるからこそ、だったらTVスペシャル、TVムービーでよいのではないか、敢えて劇場版にする意味合いはどこにあるのか、と問われてしまうのが作品としての弱みであろう。個人的には、あの「Xファイル」の、当時としてはTVドラマの枠を完全に凌駕していたあの雰囲気を劇場のスクリーンと音響で楽しめるということに価値を感じるし、丁寧なドラマ作りには十二分に堪能したのだが、もしかしたら、シリーズのファンであればあるほど、次がいつになるか分からない(次が存在するのかどうかも分からない)状況で、やっと目にすることができた貴重な1本がこれであることに落胆を感じるものなのかもしれない。まあ、興行的不振なぞ気にせずに、次々と新しいエピソードを製作してくれさえすれば、シリーズが200を越えるエピソードの中で培ってきた作品としての幅を再現できるようになるんだろうけどね。

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