11/21/2008

Diary of the Dead

ダイヤリー・オブ・ザ・デッド(☆☆☆★)

ジョージ・A・ロメロ脚本・監督による「ゾンビもの」最新作の登場だ。死者が甦って人々を襲う事件が発生する。自分たちが目にしたものを全てカメラに収めようとする主人公らであったが、行く先々で衝撃的な出来事に遭遇し、また、既製の報道機関が信用できなくなり、記録を残すことへの使命感のようなものが芽生えていく。出演はミシェル・ローガン、ジョシュ・クローズ、ショーン・ロバーツら見覚えのない顔で、前作『ランド・オブ・ザ・デッド』と比べても低予算なのが見て取れる一方、そこらへんの学生、という設定ゆえのリアリティはあるわけで、一石二鳥とはこういうことだ。

結局、「ネットで誰もが情報発信できる世界」と、「ドキュメンタリー風ビデオ主観映像」のアイディアをうまく融合できたのかというと、必ずしもそうでないと思うのである。世界中の様々なところから、真贋さまざまな映像が寄せ集められ、編集され、世界が終わっていくさまを多面的多重的に見せる映画かと勝手な想像をしたりもしていたのだが、内容はといえば、卒業映画製作にとりくんでいた学生の一団が遭遇する恐怖とその顛末を追いかけたオーソドックスなストーリーを、ドキュメンタリー風主観映像で見せているということだ。

もちろん、登場人物のひとり(場面によって複数)がカメラを抱えていること、という事実が、恐怖や病的な笑いにつながっていたり、登場人物間のドラマを生み出すきっかけになっていたりと、ストーリーと密接に関係しており、本策が単なるルックスだけの安易な物まねではないことは明らかだ。こうした設定が作劇上どのように活きてくるのか、徹底的に考えられ、練られ、消化されていなければこういう芸当は難しかろう。

また、このスタイルは作り手の問題意識とも密接にリンクしている。

この作品では、既存のメディアの情報操作や権力による報道管制に対する不信や嫌悪と、誰もが自由に情報発信できる世の中の可能性や希望が描かれている。一方で、単なる傍観者としてカメラのこちら側に立つことにより、主体者であるカメラの向こう側とのあいだにうまれる溝も描いている。また、極限の状態に置かれた人間の倫理観やモラルについても赤裸々に描きだすことに成功している。映像としての過激な人体破壊で観客を楽しませながら、無見識にゾンビを射撃の的のように扱うひとびとの精神構造のおぞましさも、主観映像のカメラ越しに描き出されている。

そうした社会性や批評精神を色濃く湛えながら、しかし、この作品は徹頭徹尾ホラー映画であり、娯楽作品であることから逃げたりしないのである。尋常ではない出来事に遭遇した、普通の人々のサバイバルを、ある種の病的なユーモアと共に描いていくその語り口は王道だ。刺激の強さや生理的嫌悪感のみに頼らず、こけおどしのサウンドやエフェクトに依存せず、世界が終わっていくさまを目の当たりにする恐怖、闇の中からたち現れる生ける屍の恐怖を、人あらざるものに変貌した親しい人間を目の当たりにする悲しみや葛藤を、正攻法で見せる。オールド・ファッションかもしれないが、時代遅れではない。70歳を超えるゾンビ・マスターの腕は、いまだに衰えていないばかりか、的確だ。

0 件のコメント:

コメントを投稿