2/20/2011

Hereafter

ヒアアフター(☆☆☆)

「イーストウッドの大霊界・死んだらどうなる?」・・・かと思いきや、死と直面した人間たちが、そのこととどう折り合いをつけて前に進んでいくかという話であった。

パリ、ロンドン、サンフランシスコを舞台に、3人の登場人物のそれぞれの人生が描かれ、最後にそれが「ロンドンで開かれるブックフェア」を舞台に交差するという構成だ。これが、あの『クイーン』や『フロストxニクソン』のピーター・モーガンの脚本と聞くと、ちょっと意外な感じがする。一見して、商業作品として練りこまれた脚本というのではなく、思いついたアイディアをさらっと書き流したドラフトのままなんじゃないか、それをそのまま映画にしてしまったんじゃないか、とすら思える内容だからだ。実際、彼自身が撮るなら(予算の制約も含めて)「ロンドンの少年」のエピソードに絞り込んで脚本を書き直すつもりでいたという。

まあ、本当に驚くべきなのは、こんなにラフに見える脚本から、自然体でさらっと撮ったが如くを装いつつ、独特のリズムで「映画」を紡ぎ出してしまうイーストウッドの演出術なんだろう。世評では不評気味な本作だが、それは、さすがに近年の神憑った傑作連打の流れにおけば「弱い」作品だとはいえ、私はこれ、嫌いではない。それどころか、なんでこういう映画が撮れてしまうんだろうか、どうしてこれで映画が成立してしまうんだろうか、と感心してしまう。

まあ、前作の『インビクタス』も本作に似てかなり不思議な映画で、題材としての圧倒的な「事実」が映画を成立せしめているように見えなくもなかった。それ故に、分かりやすい映画でもあった。が、本作は、そういう題材やストーリーの強さすら取り払って、そのあとに残る、無意識、無作為に見えないわけでもない剥き出しの演出術だけで成立している作品のように思えたりもする。

特に印象に残った個別の話としては、まず子役がいいということ。経験のない素人の双子だということだが、うまい演技を引き出せるものだ。そして、マット・デイモンはやっぱりいい役者だということ。自然に役柄に馴染んでいるし、台詞では説明されない内容を、観客にきっちりと伝えるさじかげんも心得ている。それに、クッキング教室での目隠し試食がエロいこと。枯れてないなぁ、あいかわらず変態的だなぁ、イーストウッドは。ブライス・ダラス・ハワード、シャマラン映画で見る彼女も良かったが、確かに痩せ型でイーストウッド好みの女優かも知れない。また出演して欲しいものだ。

あとひとつ、映画の本当に最後に近いあるシーンで、マット・デイモンの妄想?らしきシーンが唐突に挿入される編集には心から驚いた。いや、妄想だと受け取ればそれはそれで分からんでもないのだが、この映画、あの瞬間まで、基本的にああいう心象風景を実際に画にしてみせるということをしていないじゃないか。妄想にありがちなぽわわわわ~ん、と音の出そうなフェイド・イン/アウトをやっているわけでもないから、初めは「やけに強引なジャンプカットだな」と思ったくらいだ。直後、もとの場面に引き戻されて、え、妄想?予知?過去に予知した場面のフラッシュバック?将来のできごとを垣間見せるフラッシュフォワード?(それは結局予知と同じか)、と挿入された意図を考えだしたら、もう分からない。狐に摘まれたような気分だが、一方で、あのカットなしには本作が成立しないようにも思う。不思議な映画は、最後の最後まで不思議であって、しかし、心のなかに忘れ難いイメージを残すのである。

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