9/28/2008

Achilles and the Tortoise

アキレスと亀(☆☆☆)

ここ最近の北野作品は、考えていること、やりたいことはわからないでもないし、それ自体には興味深いものがあるとしても、できあがった作品としてはは本当に見るに耐えかねる惨状を呈していたわけで、熱心に追いかけてきたつもりの当方としてはかなり辛かった。いや、もちろん作っている本人のほうがもっと辛かったのはいうまでもないのだろうけどね。残念なことに、同じことをやるならヴィジュアル・イメージの引き出しが多い分だけ、デイヴィッド・リンチとかのほうが(「映画」としては相当わけが分からないのにもかかわらず)圧倒的に面白いわけで、そういうレベルの作品しか作れないのなら、劇場にかけて金を取って見せるというのは失礼だろう、とすら思うのである。

たぶん、前作『監督・ばんざい!』で「監督」としての苦しみを、あまりにもくだらないかたちで作品化して見せたことで、すこしは吹っ切れたのだろうか。同じ路線(アーティストとしての自らを省みる3部作)の延長線上にある思考・考察を、オーソドックスな商業映画のフォーマットとストーリー(として受容が可能なもの)のなかで展開しているのがこの『アキレスと亀』だといえる。

作品は大雑把に3幕構成になっているのだが、主人公の幼年期を丁寧に描いて、ある意味、一番「普通の映画」に近い第1部が一番つまらない。少年が「絵」に引かれていくプロセスは彼独特のタッチでいい感じだ。そののめりこみ方にある種の狂気をはらんでいるところを感じさせるのもいい。ただ、設定を説明しなければならないという意識からか、これまでになく説明調なのが困る。だいたい、これまで役者のやる「演技らしい演技」をかたくなに排除してきたはずの彼にして、中尾彬がコントのように大げさでつまらん芝居をみせるのを許してしまったのはどうしたことか。中尾彬本人は名芝居のつもりでさぞ気持ちよかったんだろうけどさ。

映画は、第2部、第3部とどんどん面白くなっていく(といっても、どんどんくだらないことに入れ込み、どんどん身近な人が死んでいくわけだ)が、それぞれのパートで主人公を演じる柳幽霊と北野武本人が全く似ていないこと、柳幽霊は寡黙だったのに、北野になると突然よくしゃべることなど、いや、年をとったら四角い顔になっておしゃべりになることもあるかもしれないが、1本の映画としては整合性・一貫性を書き、まるで違う人物のように見えるのはやはり、減点ポイント。とはいえ、いちいち皮肉のきいたエピソードを、(これだけ人を殺しながら)ほんわかとしたユーモアで包んでみせる独特の「喜劇」センスは、やはり個性的であり、魅力的といえる。エンドレスでくだらないエピソードが続いていくが、『菊次郎の夏』のように映画のバランスを崩してしまうこともなく、きっちりタイトにまとめられている。

夫婦愛の話、などとして売りたい気持ちもわかるし、そういう側面がないとはいわないが、全編これ死の気配が漂う、彼以外では撮りえない残酷喜劇。まずは、復調であると喜びたい。

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