9/13/2008

Children of the Dark

闇の子供たち(☆☆☆☆)

阪本順治監督、力作である。題材と持ち味がうまく噛み合って、今年、必見の1本といえよう。

この、ごつごつとしたいびつな塊のような質感と、海外ロケの臨場感がもたらす圧倒的な迫力。まとまりやバランスが良いとは思わないし、説明の過不足や唐突間のある展開も確かにある。だが、身近な日常世界に際限なく閉じていく小さな映画が癒しだなんだともてはやされたりする邦画のなかにこの作品を置くと、その異様なまでに突出した違和感に頼もしさを感じるのである。外を向き、社会的な矛盾と正面から向き合おうとする意欲。困難に負けず初心を貫く気力、その結果として映画が獲得したスケールの大きさはどうだ。そう、こんな映画をもっとみたい。こういうジャンルの映画がもっとあってもいい。世界の今と向き合う映画作家がいなければ、観客もまた、どんどん退行し、内へ内へとひきこもっていってしまう。発展途上の国で裕福な国の人間が行う幼児売買春や臓器移植の闇。梁石日(ヤンソギル)の小説を原作に、硬く、重い本作の題材と正面から切り結び、しかし、深刻なだけのつまらない映画ではなく、エネルギーに満ちた社会派のエンターテインメントとして作り上げた阪本監督以下のスタッフに、リスクの高さを恐れずに参加した意欲ある若い役者たちに、最大限の賛辞をおくりたい。

この映画の面白さは題材の衝撃度に加え、フィクションならではのドラマティックな「作り事」を交えながら、現実に立脚したリアリティを徹底的に突き詰めているところにあるだろう。監督がこだわったというタイでのロケは、何よりも雄弁に、「リアリティ」を伝えている。一方で、それは本作がタイの暗部ばかりを強調したり、フィクショナルである部分まで真実であるかのように伝わるのではないかという懸念につながってもいるが、本質的な部分では、この作品がノンフィクションではないから価値が減るわけではないし、現実を歪曲しているからといってタイのイメージが悪くなる、というものでもない。世の中にはその程度にしか映画を理解できない浅はかな観客がいるというだけのことである。

凄惨な「リアリティ」を、遠い国のよそごとであるとか、とんでもない絵空事だと感じさせないのは、そこに一般的な観客のすむ世界と映画の中の世界をつなぐ役割を担うキャラクターを配置しているからである。もちろん、それは「若者代表」のように登場する宮崎あおいと妻夫木聡の役割なのであるが、物語のなかで担っている役割の重さからいえば、宮崎あおいが演じる「無知と無垢な善意だけを武器に<自分探し>にボランティアとしてやってきた世間知らずの女の子」であろう。そのような設定であるがゆえに、このキャラクターの言動にはいちいちイライラさせられることになる。しかし、そこが宮崎あおいの実力というのか、下手な役者なら単なる足手まといの嫌われ役になりかねないところを、観客と同じ視点で現実と対峙し、驚き、怒り、悲しみ、結果として普通の観客が映し鏡として自らを投影し、あるレベルでは呆れながらも、あるレベルでは共感できるキャラクターになっているところがすごいのである。

本来、脇である宮崎あおいが強い印象を残す一方で、本来、ストーリーを動かす役割を担っている江口洋介が冴えない。途中までは力強く作品をリードしていくものの、最後の方で大きく失速し、映画の「顔」になり損ねた。それは役者としての彼の力量の問題だけでなく、彼の人物像について唐突で不自然なオチをつけている脚本の問題であると思う。もちろん、正義感のジャーナリストが悪を暴くというような単純なストーリーを嫌い、観客一人ひとりのなかにある複雑な感情や、深く考えずに加害者の側に回っている可能性などを示唆しようという意図や意欲は理解できるが、あまりに舌足らずで説明不足であった。もちろん、江口洋介という役者が、曖昧で両義的な得体の知れない演技を得意とする、たとえばたとえば、フィリップ・シーモア・ホフマンのような曲者役者であったならば、この程度の脚本の不備は軽々と乗り越えられるのかもしれない。だが、それを江口に求めるのはさすがに無茶、奇跡が必要というものだろう。まあ、そんな問題もこの作品の魅力や価値を減ずるものではないのはいうまでもないことだ。

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