5/01/2009

Gurren Lagann (Part II)

天元突破グレンラガン 螺巌篇 (☆☆☆☆)


ガイナックス製作、2007年文化庁メディア芸術祭アニメーション部門での優秀賞受賞でも話題となったTVアニメ『天元突破グレンラガン』の劇場版である。昨秋公開され物語の前半部分を描いた『紅蓮篇』に続き、後半部分を新作カットと共に再構成したものがこの『螺巌篇』である。4幕構成になっているシリーズにおいて、いってみれば「転」と「結」を担うところであり、ストーリーとしてしっかり完結されている。ところで、前編に当たる「紅蓮篇」は、その個別作品レヴューでも指摘した通り、多分にダイジェスト的であり、尺の短さもあって相当忙しい作品になっていたのは否めないが、一方で、「グレンラガン」という作品の突き抜けた面白さやエネルギーは十分に焼き付けられていたし、それがシリーズ初体験であった私の目にもそれは明らかであった。今回は再放送中のTVシリーズを途中まで見たところで劇場に足を向けた。

本作、『螺巌篇』は、前作の積み残しとでもいうべき第2幕のクライマックスにあたる部分で幕を開けるが、ある意味、この一連の出来事が回想シーンのようにも受け取れるような編集で、一気に時間を7年後に飛ばし、手際よく後半部分のストーリーに突入する。TV版を土台とするならば、割愛せざるを得ないエピソードも多く「あらすじ」を追うのに終始するところだが、話が本筋に乗ってからは『紅蓮篇』で感じられた(ある意味、当たり前の)駆け足感はなく、比較的丁寧に手順を踏んで物語を展開させていて、「再編集もの」に特有の弱さは感じられない。ストーリーテリングの観点で見て、完全新作の劇場作品といってもある程度は通用するレベルで再構成された脚本はかなり練りこまれていると感じた。難をいうならば、TVシリーズではここぞというポイントで使用されたはずの「キメ台詞(俺を/俺たちを誰だと思ってやがるっ!)」が、エピソードの間が極限まで切り詰められていった結果、(結果として)長くはない上映時間のあいだに間をおかず乱発されることになっていることが少々耳に障った。キメ台詞の連発を心地よいリズムとして作品の勢いに転換しているのも事実だが、その価値が割り引かれてしまうのもまた事実である。

「らせん力」なるものと宇宙における生命の進化を中心に据えたスケールが大きく、かつSF的アイディアに満ちた観念的でありながらも怒涛のストーリーそのものの面白さに加え、どんどんエスカレートし、飛躍していくストーリー展開の面白さが前半部分に増して際立っている。しかし、本作の素晴らしいところはそうした物語のスケールや勢いに負けず、それを支える「アニメーション表現」そのもののエネルギーだといえるだろう。監督の今石洋之は影響を受けた人物としてアニメ好きには有名な「金田伊功」の名前をあげているが、その金田伊功が得意とした独特で大胆な誇張表現や構図を駆使した作画スタイルの直接的な影響を感じさせる、これまた大胆で度肝抜かれるようなアクション・シーン、線画や抽象表現が凄まじい本流となって溢れ出すクライマックスの一連のシークエンスなど、日本の「アニメ」が数々の制約の中で積み重ねてきた歴史の最新進化系がここにある。この映像的快感は圧巻といってよく、スクリーンを見ているだけで自然に感動の涙が流れてきてしまうほどだ。こういう表現が、気どった大作でもなければアート作品でもなくて、普通にTV放送された商業アニメーションの「総集編」などという枠組みの作品で見ることができるというところが、この国のアニメの底力なんだろうし、素敵なことだと思う。そういう作品である以上、劇場の大スクリーンで鑑賞するに足る、いや、鑑賞されてしかるべき「体験」だ、といっておく。ぜひとも紅蓮篇と螺巌篇の連続上映が実現することを望みたい。

0 件のコメント:

コメントを投稿