5/04/2009

Slamdog Millionaire

スラムドッグ$ミリオネア (☆☆☆★)


あざといといえば、あざといのである。「クイズの答えが主人公の人生の中にあった」ということをいっているのではない。(それは単に、人生でもっとも重要な事柄は経験で学ぶものだ、ということを象徴的に語っているだけにすぎないのだ。)ここでいいたいのは、クイズの設問の順番が、彼の人生を時系列にたどっていくように並んでいることがあざとさというものだろう。別に時系列をばらばらにして組み替えても良かったのかもしれないが、それでは多くの観客は頭がこんがらがってしまうだろうし、なにより、この作品の魅力のひとつであるエネルギーとスピードが死んでしまう。あるいは、これがどこか別の国を舞台にしていたら、時系列をばらしたパズルのような映画でもよかったかもしれない。この映画はシンプルなラブ・ストーリーであるかもしれないが、主人公の壮絶な生い立ちと、インド、そしてムンバイのこの間における急速な社会的変貌をそこに重ねてみせる物語でもある。だから、物語は時系列に語られるだけの必然があるのだ。だから、そのあざとさは必然なのだ。むしろ称えられるべきなのだ、と、何をおいてもまず、いっておきたかったのである。

しかし、映画で描かれるスラム人生の壮絶さは、ちょっと、ほかの娯楽劇映画では目にすることのない類の強烈さである。たとえこれが物語を盛り上げるための細工、つまり、あらゆる不幸を主人公とその周囲に集約してみせた「つくりごと」の結果であったとしても、見ると聞くでは大違いというか、まさに、映像の力とでもいうべきものを感じさせられる瞬間というのはこういうものかと、ただただスクリーンに目が釘付けにされるばかりであって、それを目にすることができただけでこの映画を見る価値があったと思わされるインパクトだ。映画のカメラが入り込めないような路地にズンズン踏み込んでいき、臭いまでが立ち上ってくるかのように臨場感たっぷりに切り取られる映像。この撮影は凄い。あんな環境で、あれだけのものを撮影するのはどれほど大変なことだろうか。短いショットを積み重ね、新鮮味を感じさせるボリウッド音楽に乗せて映画を貫くリズムを作っていく。もちろん、不必要にガチャガチャ編集してみせるこの映画のルックスがどうにも煩く感じられる瞬間もあるのだが、それが荒削りの躍動感につながっている点は否定できない。

急速な変化と発展の光と影。都市とスラム。絢爛な世界遺産を目当てにあつまる先進国の裕福な観光客たちと、分け前に預かろうと群がる貧しい子供たち。兄と弟、そして思いを寄せた少女。一攫千金の夢をかけたきらびやかなTV番組と筆舌に尽くしがたい人生の辛酸。TV番組に熱狂する視聴者たちと主人公の一途な思い。これを全部まとめて2時間の娯楽映画に凝縮してみせた手腕については、お見事というしかあるまい。ハッピーエンドのその先を、ボリウッド流ミュージカル風味で締めくくるあたりの余裕が素晴らしく、映画が円実からファンタジーに飛翔する感動にあふれている。『トレインスポッティング』には距離を感じていた私にとって、ダニー・ボイルは小手先の技術ばかりという印象があってそれほど面白いと思える作家ではなかった。しかし、しばらく身を寄せたハリウッドを離れ、新たな地平に身を置いて撮りあげたこの作品には、彼の持てる洗練されたセンスとテクニックが物語を語る手段として、そしてなにより、登場人物たちの人生を切り取る手段として活かされており、確かな手応えを感じさせるものになっている。もちろん、映画史に残る作品だと思っているわけではないが、この作品が、映画史に残るエポックメイキングな事件であることは間違いなく、また、時代が求めたヒット作に過ぎないのかもしれないが、何か見たことのないものを見せてもらったという興奮だけは確実に胸に残った。

0 件のコメント:

コメントを投稿