5/23/2009

State of Play

消されたヘッドライン(☆☆☆)

妻がタイトルを「消されたヘッドライト」と云い間違えたので笑ってしまった。まあ、ヘッドライトは消しておかなくちゃバッテリーが上がってしまうわな。予告編を見るたび常々思っていたのだが、なんだかパッとしない邦題である。ケヴィン・マクドナルド監督の新作は、英TVドラマ(ミニ・シリーズ、NHK放映済、未見)の翻案で、原題 "State of Play" 。あー、難しいな。構成している単語は中学校レベルでも、「訳せない、分からない」典型だ。(ゲーム・試合等の)の形勢とか状況とかいった感じだが、"state" も "play" も文字通り以上にかなり意味深。配給元も悩んだだろう。そうはいっても、劇中でヘッドライン(新聞の1面大見出し)は「消され」ていないのだった。何じゃそりゃ。

さて、舞台は米国の首都、ワシントンDC。ここで、ありふれた麻薬取引絡みの事件と思われる2つの死体が発見される。時を同じくして、連邦下院議員の女性政策スタッフが地下鉄で飛び込み自殺と思しき事故死をする。女性スタッフとの不適切な関係をマスコミに詮索される下院議員。その議員と旧知の仲である新聞記者が手に入れたとある物証は、全く関係のなさそうな2つの事件をつなぎ、権力と利権の絡んだ大きな陰謀の存在を匂わせるものであった。限られた時間の中でベテラン新聞記者としての意地とプライドをかけて真相を追う主人公らを中心に、話は2転3転しつつ、いわゆる「予想外」で「皮肉」な結末に至る。

英国TVドラマ版から米国を舞台にした映画版へと脚色を手がけているのは、マシューマイケル・カーナハン(『キングダム』、『大いなる陰謀』)や、最近の大注目株の一人となったトニー・ギルロイらである。翻案に当たって、イラク戦争などの戦場で存在感を増してきている民間軍事企業ネタやら、金儲けしか興味のない巨大メディア企業に買収された伝統ある新聞社というネタやら、紙メディアのジャーナリズムとWEB媒体の確執やら、愛国心から大義名分に命をささげたつもりだった元兵士のPTSDやら、今日的なトピックを盛り込んで新味を出している。特に、軍事部門の「民営化」、「アウトソース化」と軍事・傭兵株式会社とでもいうべき、いわゆる「民間軍事企業」にまつわる切り口と考察には、娯楽フィクションとして避けられない誇張を交えつつも、嗅覚と視点の鋭さを感じさせる。

もっとも、話の枠組み自体は古典的かつ真っ当な社会派サスペンスであり、画面に漂う雰囲気そのものに新しさはないし「衝撃の実話」でもなければ、「何とかの舞台裏」などというセンセーショナルな話題もない。ただ、脚本も、演出も安定しているし、出演者のアンサンブルもいい。新聞記者にラッセル・クロウ、新聞社の編集長にヘレン・ミレン、同僚記者にレイチェル・マクアダムス、下院議員にベン・アフレック、その妻にロビン・ライト・ペン、先輩の大物議員にジェフ・ダニエルズと、派手さはなくても新旧取り混ぜた実力者を起用。たとえ紋切り型で新鮮味がないキャラクターであっても、この顔ぶれであれば127分、きっちりと楽しませてくれることは保証されているといえるだろう。

本作は、「ジャーナリストが陰謀を暴く」という話に見せかけて、「ジャーナリストが陰謀論に振り回される」話を、ある種の皮肉と共に描いている。本来、「大山鳴動してネズミ一匹」、とてつもなく大きな陰謀かと思われた事件も、蓋を開けてみればこの程度の卑近な話だったりするものさ、ということだ。ただ、それに加え、善なる動機に基づく良かれと思った行動が、結果として裏目に出る一方で、巨悪は滅びず何も変わらないといったあたりのニュアンスを巧く引き出すことが出来ていれば傑作になりえた作品ではなかっただろうか。

一方、本作は物語を語ることよりも、プロット上の捻りで観客を煙に巻くことに気をとられ、終盤の展開があまりに陳腐で慌しいものになってしまっている。結果、本来フォーカスをあてるべき論点が吹き飛び、「真犯人はXXでした」といった具合の、いわゆる安手のサスペンス・ドラマのレベルに矮小化されてしまったと思うのである。また先に褒めたばかりなので逆説的に聞こえるかもしれないが、ネタとして使い捨てることになる「陰謀論」の主役に、民間軍事企業などというホットで興味深いトピックを担ぎ出したことも作品としての失敗につながっているのではないか。こういう新鮮味のあるネタを提示されたら、観客としてはどうしても、そのネタそのものについての深い突っ込みを期待してしまうものだ。ここは却って、ありふれた昔ながらの「陰謀」を、象徴的、記号的に用いたほうが、却って映画としての鋭さが増すことにつながったのではないかと思う。

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