9/28/2009

Air Doll

空気人形(☆☆☆★)


是枝裕和脚本・監督の新作。男の性欲を満たすために作られた等身大の人形が、心を持ち、外の世界の美しさを知り、恋心を覚える。好きな人が出来ても、一日の終わりには持ち主のもとに帰り、抱かれる。それが彼女の役目、存在する理由だから。いっそ、心などないほうが楽だろうに、と切なくなる。行為を強要されたあとで人形が自らの股間の部品をとりはずし、洗面所でそれを洗う姿、その即物的な描写は、切なさを通り過ぎて哀しくて仕方がない。そして、そんな空虚さが他人によって満たされる喜び、それは誰もが指摘するように、この映画の白眉である。

主人公である「人形」を、あのペ・ドゥナが演じる。たどたどしい日本語で、性欲処理の代用品を演じる。作り手は、韓国の女優がこれを演じることで、意図をしない意味が、(おそらく、社会的なサブコンテクストが)過度に付与されないか、心配したように伝え聞いた。まあ、それはそうだろう。自らの意図に反して性風俗産業に従事させられている女性たち、特に、海外から人身売買同様にしてつれてこられた女性たちのイメージが重なってみえるのはある程度計算に入っていてもおかしくない。しかし、日本人男性が、性欲処理のために韓国人女性をモノとして扱い、抱く。そのことが、映画とは全く関係がない両国のあいだの過去の不幸な出来事を喚起させてしまう可能性は、確かにあっただろうと思う。そして、もしそんなことになれば、本作は失敗したに違いない。

しかし、ペ・ドゥナという女優の存在感は、やはり、他に代えがたい稀有なものであることを、この映画はわれわれ観客に、改めて教えてくれる。彼女は、余計なものを想起させたりしない。彼女は韓国の女優である、という事実の前に、なによりもまず、女優であり、心を持ってしまった空気人形であった。文字通り空気を入れて膨らませるちゃちな作り物としてのビニール人形と、実際の人間にビニールの継ぎ目を書いて表現される「心を持った人形」がいて、それをひとつのものとして、ひとりの「人形」として、説得力をもってつないでこそ、この作品が描き出すファンタジーが成立する。そんなむちゃくちゃなことが、まるで当たり前のことのようにしてできてしまっている、コントにもならずに表現として完成していることは、実はとても凄いことだと思っているのだが、それを可能にしたのは何よりもまず、ペ・ドゥナというキャスティングであり、彼女の貢献だといえるだろう。

この映画では、いっそ心を持たずにいられたら楽になれるだろうに、と感じている、空虚な日常を生きる人々の姿が点描される。これは、テーマ的、映像世界の空間的広がりのうえでも効果的であると思うのだが、うまく織り込まれているというよりは挿入のされ方が唐突に感じられることがあり、もう少し脚本上の工夫が必要だったかもしれない。また、物語としては終盤での流れにぎこちなさを感じて残念であった。特に、ARATA演ずる青年が良く分からない。空虚であることと、何を考えているのか分からない、のあいだには大きな距離があると思うし、過度な説明を廃した演出や、観客に想像の余地を残す演出と、意味不明・意図不明は別のことだと思っている。オダギリジョー演ずる人形師が登場するあたりまでは文句なしに素晴らしい出来栄えなのだが、イメージや雰囲気を重視する作品が、それに飲まれてしまったのではないだろうか。

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