9/29/2009

Oblivion Island: Haruka and the Magic Mirror

ホッタラケの島 遥と魔法の鏡(☆☆☆)


遥 in Wonderland. 予告編を目にしたときには全く興味をそそられなかった本作であるが、上映が終わる前に見に行くことができてよかった。人間がほったらかしにして忘れているモノを狐(のような生き物)がこっそりいただいていく、という民話風のモチーフを、古今東西のファンタジーから借用したアイディアやイメージで発展させた劇場用オリジナルのフルCGIアニメーションなのであるが、これがなかなか、作り手の誠意と熱意が伝わってくる秀作なのである。

母親を早くに亡くした主人公、遥が、神社でみかけた不思議な生き物を追って、穴に落ちるとそこは「ほったらかし」にされていたものを再生して暮らす不思議な国。ここを舞台に母親の形見である手鏡を探す大冒険が始まるのである。先に書いたように、狐を追って穴に落ちるところを手始めに、アイディアのレベルでは過去の様々なファンタジー作品のつぎはぎともいえるストーリーである。通常、日本のマンガなりアニメなりがこういうことをすると、その臆面も工夫もないイタダキぶりに見ているこちらが恥ずかしくなるようなものが多いのだが、本作の場合、借り物のアイディアをうまく咀嚼し、ひとつの物語として統一感をもって練り上げることができており、ネタの出処を推測しながら微笑ましく見ていられる程度に収まっているように思われる。

一番の見所は、タイトルにもなっている「ホッタラケの島」、つまりは穴の向こう側の異世界のビジュアルである。発想の源泉こそあちこちから借りていながらも、独創的なものを作り出そうという意欲は強く感じられる美術面での頑張りも含め、国産作品にありがちな「CGIアニメーションで作ってみました」というレベルを大きく超えている。他の手法ではなくて、CGIアニメーションであるからこそ表現できる世界、しかも、米国製アニメーションの模写ではなく、オリジナリティのある新しいレベルの表現に真っ向から挑み、そしてかなりのところ、成功しているといえるのではないか。事前の宣伝や予告では、この素晴らしさ、驚き、この作品が成し遂げた到達点というものが十分に伝わっていないのではないか。それが作品の興行的不振につながっているとしたらもったいないとしかいいようがない。

一方、その「異世界」との落差を出したかったのだとは思うのだが、穴のこちら側の日常を描くシーンはまるでダメ。風が吹いても木の葉ひとつ揺れない伝統的リミテッド・アニメーション風の立体感のない書割背景のなかで、妙に滑らかで重量感のない立体的CGIキャラクターたちが不自然なまでに滑らかに動くのに違和感があって見ていられない。仮に日常と非日常を対比で見せたいのであれば、いっそのこと、日常シーンにおけるキャラクターの表現からCGIらしさをとりはらい、2D手書き風の、「動かさない」表現で見せる手もあったのではないだろうか。映画全体における日常シーンの比率が高くないので作品にとって致命的とまでは思わないが、それでも映画の冒頭と締めくくりが映画に与える印象の重要性を思えば、このパートによるダメージは小さくない。CGIだからこうなってしまう、という消極的な諦めではなく、異世界パートで見せたような「こういう表現であるべき」という姿勢で考え抜いて欲しかったと思う。

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