9/05/2009

Taking of Pelham 123

サブウェイ 123 激突(☆☆☆)

当方、巨匠扱いの兄リドリーよりも好きなのは弟のトニー・スコットである。その新作が『クリムゾン・タイド』、『マイ・ボディーガード』、『デジャヴ』に続く、デンゼル・ワシントンとの4度目のタッグになる本作『サブウェイ123 激突 』である。1974年作、ジョセフ・サージェント監督の『サブウェイ・パニック』の現代版リメイクにあたる。脚色を手がけたのは期待を抱かずにはおられない名前であるけれど、ハズレも少なくないブライアン・ヘルゲランド。

すでに様々言われているように、やはり「名作」のリメイクはいろいろな意味でハンディを負っていて、常に比較され、出来損ないの烙印を押される運命にあるのだろう。また、トニー・スコットが近作で好んで用いるカチャカチャした映像スタイルに対する生理的嫌悪感であるとか、拒否反応のようなものも強いのは理解できる。(もちろん、このスタイルを過度に褒めるつもりもないのだが、あまたいるフォロワーに比べれば、トニー・スコットは数倍洗練されていると思う。)しかし、公平に見たときの本作は、できの良いところも悪いところもいろいろあるのだろうけれど、娯楽映画の水準作には仕上がっていると思うのである。

問題は、2つ。ヘルゲランドの脚色とトラボルタ、である。

ヘルゲランドは犯人グループの目的を身代金ではなく、金融市場操作においた。昨今注目を浴びる金融問題を映画の空気に取り込むことを目論んだわけで、これはこれで優れた発想だが、狙いほどにはうまくいっているとは思えないのである。市場を動かすために事件を起こして大儲けをはかるというやりくちは、『カジノロワイヤル』の悪党もやっていたことだが、そこでも首謀者と実行犯は別人であった。市場操作が目的であれば、元々金融マンであった悪役の男が選ぶ手段は「地下鉄ジャック」になるだろうか、また、実行犯としてそこに自らの身を置くだろうか、という点について、説得力が弱いだろう。また、映画だから、といえば流しても良いと思うのだが、いくら土地柄を考えに入れても、「地下鉄ジャック」程度の事件で短期間に市場全体にインパクトを与え、映画の中のような資金のシフトを引き起こすことが出来るとは思えないのも弱いところである。

トラボルタもまた、ヘルゲランドによる「説得力の欠如」を補うだけの演技ができていない。まあ、それはどう考えても難しい仕事だと思うのだが、最近は『ボルト』の声だの、ボディスーツと特殊メイクによる『ヘアスプレー』の母親役だのと、あまり目立った活躍のなかったトラボルタであるが、それゆえなのかどうか、どうにもこうにもハシャぎ過ぎである。これでは「市に恨みを持った冷酷な知能犯」でもなんでもない。支離滅裂で危険な狂人、である。

しかしこれに対するデンゼル・ワシントンは本当に素晴らしい。このところ悪役やグレーな役を積極的に演じ、精錬潔癖な良識あるヒーローというイメージに縛られがちなキャリアの幅を意識的に広げてきているのはご存知のとおり。今回の脚色における一番のひねりであり、一番成功している部分は、デンゼルが演じる収賄を疑われて左遷されている地下鉄職員というキャラクターだと思っている。「真面目に勤め上げてきたよき父でありよき夫」の部分はいつものデンゼルの延長線上だろう。しかし、一件実直な男が、実は影で汚職に手を染めているのか、それとも単なる濡れ衣なのか?という点において最後まで予断を許さない曖昧さを残してみせるさじ加減がすごいではないか。いつもよりだらしなく増量した体もいい具合にリアルである。

トニー・スコットは、悪ふざけが過ぎてバランスが壊れた(が、それゆえの妙な魅力が捨てがたい)『ドミノ』の反省もあってか、今回、実は地味になりがちな題材に、適度に派手なアクションをはさむなどして娯楽大作らしいスケール感を付与しつつ、121分、長すぎない尺のなかで緊迫感の途切れさせないきっちりとした商品に仕上げている。傑作とまで持ち上げるつもりはないのだが、このレベルの良質な娯楽映画がコンスタントに封切られてくれると嬉しい、とは思うものである。

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