9/28/2009

火天の城

火天の城(☆★)


信長から安土城築城をいいつかった熱田の宮大工が、当時、世界的にも前例のない5層7階建の壮麗な巨大建築を完成させるまでのドラマである。原作ものであるから映画に対する評価とは別になってしまうのかもしれないが、戦国時代劇の主人公が宮大工で、一世一代の大仕事を成し遂げるために「コンペ」を勝ち抜き、苦心惨憺の末仲間の協力を得ながらプロジェクトを完遂させるという題材、そして視点にオリジナリティがあり、たいへんに面白い。それが映画としての面白さには全くつながらないところが、これまた逆の意味で面白い。

まず、主演俳優で萎える。これだけの規模の時代劇を支えなくてはならないのだから、主演に重量級の俳優が必要であることは理解ができるのだが、かといって、その役者の体重までが重量級である必要はなかったと思うのである。西田敏行は個人的に苦手な俳優なのだが、それが理由でいっているのではない。モデルとなった人物が実際にどんな体形をしていたかは知らないので無責任なものいいかもしれないが、戦国の世、たとえ一門を率いた棟梁とはいえ、一介の職人、宮大工の棟梁が、あんなにぶよぶよ太っているというのではリアリティもなにも台無しだ。西田敏行がいかに名優であろうとも、いかに職人としての名演技を披露しようとも、あの体形のまま出演するのでは逆立ちしたって宮大工の棟梁には見えない。もし、仮にモデルとなった本人が立派な体格をした男であったというのであれば、劇中、台詞のひとつでも何でも、なんらかのフォローがあってしかるべきである。

他のキャスティングもいろいろ妙である。次長課長の河本準一が秀吉もなにかの冗談のようだが、笹野高史や夏八木勲も登場した瞬間から変なオーラを放っており、笑いを取るためにでてきたようにしか見えない。主人公の娘役、福田沙紀も時代劇にあわない顔立ちをしている。わざわざ「息子」から「娘」に変えてまで出演させる理由がわからぬ大根演技は苦痛以外の何者でもない。変なキャストが並ぶ中では椎名桔平の信長は真っ当で、寺島進が意外にも職人風情を漂わせていたのはさすがは畳屋さんの息子だなぁ、と納得がいくところだった。

さて、安土築城という大仕事、プロジェクトX的に描いていけばそれ自体がドラマとなり、面白くなるに違いない。それなのに、築城にまつわるプロセスをひとつひとつ丁寧に盛り込んで見せるかわり、家族であるとか、男女の仲であるとか、あまりにも陳腐なエピソードを、あまりにも陳腐なやりかたで並べてみせた脚本のセンスのなさには心底あきれる。原作からのエピソードの取捨選択も誤っているのだろう。忍者の話はあれほど唐突に盛り込むくらいなら、全部カットでも全く問題ないだろう。もちろん、ものづくりのプロセスにおいては人としての葛藤がある。仕事に没頭する影に、それを支える家族の存在がある。しかし、それも描き方の問題だと思うのである。結果として、現代のVFXの力を借りなければ映像化できないスケールの大きい話のはずが、スケールの小さい凡庸な話に貶められてしまったのでは本末転倒も甚だしい。劇場を埋めた年配の観客はこの程度で満足するだろうという舐めた姿勢があったかどうか、逆に、こういう「人間ドラマ」を盛り込んだオーソドックスな話にしなければ観客が満足する娯楽映画にならないと考えたのか。やはり、非凡な題材が凡庸に堕すのは、凡庸な才能によるのであろう。

コンペにおいて模型に火をつけ、吹き抜け構造だと火が回るのが早いという実演をしてみせ、信長に吹き抜けを作ることを断念させたというエピソードを盛り込んでおきながら、結局のところは儚く焼失したという歴史の皮肉がしっかりと利いていないのももったいない。これは城を作った人たちの物語であるから、城が炎上しても舞を舞う暇がある、という台詞に呼応した炎上シーンまで描くべきだとはいわない。3年後に焼失、という事実の提示の仕方とエンドマークの打ち方、タイミングひとつで変わるものだと思うのだが、いかがなものだろうか。

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