10/02/2010

13 Assassins

13人の刺客(☆☆☆)

往年の東映映画のリメイクが、ジェレミー・トーマス製作・三池崇史監督の東宝映画(配給だけど)ってんだから、なんだか支離滅裂。随分と構えの大きな作品であり、もちろんお金もかかっているようだ。それゆえか、いつになく作り手の意気込みや本気度が画面の隅々に漲り、特に映画前半にはある種の風格すら漂っているのだが、一方で、監督らしい手癖というか、見せなくてもいいグロ、やらなくてもいいエロで、幾分映画が安っぽくなっている部分もある。まあ、それも個性のうちだといえばそうなんだけどさ。いずれにせよ、これだけ大掛かりで複雑な作品を作り上げることの苦労を思うと、拍手を進呈したいと思う。

江戸時代末期を舞台に、残虐な暴君を放置できぬと、密命を受けた男たちが計略を図って暗殺を試みる。手勢は13人に相手は200人。参勤交代の帰国途上、宿場町を借りきって決戦の火蓋は切って落とされる。役所広司、山田孝之、松方弘樹、沢村一樹、古田新太、伊原剛志、伊勢谷友介、六角精児、市村正親、松本幸四郎、内野聖陽、稲垣吾郎、岸部一徳、吹石一恵のオールスター・キャスト。

強大な絶対悪を倒すミッション遂行ものを基本とした娯楽活劇で、売り物は延々と続くクライマックスの集団戦闘シーン。だが、映画の内容は意外や風刺的、批評的である。リメイク時代劇であるが、見せかけではなく内容の面でとても現代的である。

稲垣吾郎演ずる暴君は、「平和な時代に生きる実感を感じられない」と嘆き、他人への想像力もなく自己中心的で残酷な行動をとる男である。もっともらしい理屈をこねはするが、それで何もかもを正当化できるわけもない。これをある種の現代(日本)人と、時折引き起こされるむごたらしい事件がオーバーラップしてくるのは意図的なことだろう。トップアイドル・グループのメンバーらしからぬ嫌われ役を演じた稲垣吾郎の損得勘定は微妙なところだが、このキャスティングはいいアイディアだった。

また、その暴君を守る側に立つ者たちの描写が面白い。「システムを守り、自らの職務・役割を全うする」とか、「自分の稼ぎや生活を守る」という一見もっともな理由で思考停止に陥り、悪しきものを温存し、先送りし、増長させる組織人だったり、役人だったりの象徴であるからだ。組織の中で無能な神輿を担具ことに対する美学もあるのかもしれないが、それを言い訳にした保身でもある。敵側のリーダーを演じる市村正親が、美学と保身と個人の誇りのあいだで自らに与えられた役割に忠実な男を説得力を持って演じている。

主人公らとて、大義のためには自らの命も投げうつし、無関係の多くの命が失われても已む無しとする暴力的な体制破壊者、テロリストである。また、彼らも平和な時代に「死に場所」を求めているわけで、「大義」を与えられればほいほい乗って行く危うさもある。まあ、さすがに娯楽活劇であるから、主人公らの行動を否定的に描いたりはしない。むしろヒロイックに描かれており、盛り上がるべきところできっちり盛り上がる。が、結局のところ、あとに残るのは死屍累々の虚しさだけである。

ほとんどが農民の末裔のくせに、サムライなんとかとやたら「武士」を美化する昨今の風潮は滑稽であるが、その「武士」なんてものは面倒くさくて、馬鹿らしくて、実にくだらねぇと、サムライをダシにした大チャンバラ娯楽活劇をやりながら唾を吐いてみせもする。これは、そういう映画なのだろう。しかも、血みどろで、泥まみれで、格好良さとは無縁の「戦場」の描写や残虐描写がしかし、この映画の売り物でもあるという自己矛盾にも自覚的なのである。

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