10/02/2010

Villain

悪人(☆☆☆★)

『フラガール』で名を上げた李相日監督の東宝映画である。オーソドックスで誠実に作られたいい作品である。もう少しエッジの立った新しさを求めたくもなるが、ないものねだりかもしれない。だって、『フラガール』・・・も、そういう映画だったし。ただ、前作で蒼井優、松雪泰子が輝いたように、本作で深津絵里、妻夫木聡に実力相応の仕事をさせた手腕については今後も期待したい。

福岡で保険外交員の女性が殺害される。事件当夜に女性を車に乗せて現場に置き去りにした学生の犯行が疑われるが、真犯人は、被害者と出会い系で知り合った長崎の解体工だった。事件後、犯人は同じく出会い系で知り合った佐賀の紳士服チェーン店員の女性と親密な関係となり、共に逃避行を続けることになる。その間、犯人の家族はマスコミに追われ、被害者の家族は抑えきれない怒りと喪失感に苛まされるのだ。

妻夫木聡が演じる「犯人」は、環境・境遇の産物としての悲しい犯罪者である。また、彼に共感し、自首を遮って逃避行に誘う深津絵里演じる女もまた、行き場所のない地方都市で深い孤独を抱えて生きてきた。映画は小説のような描き込みをすることができないかもしれないが、妻夫木、深津、この2人の好演は、その行間を埋めて余りある(妻夫木が山田孝之に見えてくるってのは、ある意味スゴイ)。「暇つぶしで出会い系を使う人が多いのかもしれない、でも本気だった、本気で誰かと出会いたかった」という女。お金でも払わなければ自分のような男と会ってくれる女なんていないと思っていた男。「もう少し早く出会っていたかった」と嘆いてみても、もう遅い。

まあ、映画としては2人の気持ちが通い、逃避行に至るまでが見所であって、そのあとは推進力が失われてしまう。が、素直に白状すれば2人の人生が残酷にも交差する瞬間を誠実に切り取って見せてくれたところに感動したので、それだけで満足しているところがある。2人の孤独な心が通い合う過程に説得力があったし、2人のキャラクターに対して同情というのではなく、立場や境遇こそ違え強い共感を感じられた。原作と比べて説明が足らんとか唐突とかいう観客もいるみたいだが、映画だけ見て十二分に分かるよ、これ。(当方、原作未読だし。)

殺人事件の被害者である保険外交員の女性の、殺されてしかるべきとまでは言わないまでも、ムカつく行動原理や「犯人」に対する侮蔑的な言動も、「現実にいるよね、こういう女」という枠を踏み外して戯画的になる寸前の範囲で踏みとどまり、よく描けていた。満島ひかりは巧いな。享楽的で自己中心的なチャラい学生も、描き方は表層的だが、演技のニュアンスが加わってそれなりの人間味もでていた。舞台となる地方の、東京や都市部とは違った空気もよく映し出さfれていた。

一方、この映画で残念だと思うのは、被害者の父親を演じる榎本明と、犯人の祖母を演じる樹木希林がそのキャスティングも含めて類型的に過ぎ、新鮮味を感じられないことがひとつ。いや、二人とも上手い俳優さんなんだけど、いまや使い古されすぎてコントになっちゃってるレベルじゃないのか。

もうひとつは、毎度毎度ワンパターンの回想だ。経緯を説明する場面になると、「事実これこれでした」と全部(客観)映像にして見せてしまうこと。これは、映画から緊張感を奪っているだろう。特に、犯人の告白については、「本人はこう語っている、聞き手はそう想像したみたいだけど、実際のところどうだったのか?」と観客に疑念を挟む余地を残すことはできなかったものだろうか。

あと、久石譲の音楽が、その使い方ともども凡庸。これは映画の格を下げていると思う。まあ、一時期の大林、初期の北野などの例外を除けば、実写映画での彼の仕事って、あんまりピンとこないことが多いんだけど。

しかしねー。与えられた環境の中で真面目に暮らしている人々の人生が、ちょっとしたきっかけで大きく狂っていく。親と子、人と人の絆であったり、それが希薄な現代社会に生きる孤独であったり、地方の疲弊や退廃であったり、現代風俗の軽薄さであったり、、、というドラマをオーソドックスにやるなら、東宝映画じゃなくて松竹・看板の山田洋次でいいんじゃないか、と思うわけで。(いや、山田洋次の現代劇は、それこそ彼の観念の中にしか存在しない「庶民」なんてのが出てくるからあんまり好きじゃないのだが、でも、彼だったらこの題材をどう料理するかに興味があるんだけどね。)もうちょっと冒険してもいいんじゃないか、この映画。

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