10/16/2010

The Expendables

エクスペンダブルズ(☆☆)

軍事独裁の南米小国に殴りこみをかけ権力者を排除するという依頼を引き受けた最強傭兵チームが、現地で手引きする女性を救助するとともに、麻薬権益独占のために裏で糸を引く元CIAを倒すために奮闘する、という話。

『ロッキー』、『ランボー』の2大シリーズの無茶な続編をそれなりに仕上げたうえで中ヒットに導いたことで自信を深めたに違いないシルベスター・スタローン(共同脚本・監督・主演)が、見るからにむさ苦しい肉弾系アクション・スターや格闘系スターを集めて完成させた80年代風殴り込みアクション映画である。考えて見れば孤独なヒーローか、せいぜいコンビもの止まりだったスタローンが、一歩引いて「チームもの」をやっていること自体が新機軸。

まあ、本作にもカメオ的に出ているブルース・ウィリスがTVのコメディ・スターから転身した『ダイ・ハード』の登場によって、この手の映画は表舞台から消え去ったわけで、この映画が身にまとう懐かしい雰囲気は、だからそれだけで褒め讃えたくもなるのだが、いや、それでもこれ、出来のいい映画ではないよ。

こういう映画では筋書きなんてどうでも良いと思われがちだが、主人公らの活躍に気持ちよく喝采を送るためには、それなりの条件が整っていなくてはならないものだ。そもそも敵は憎らしい悪党でなければならないし、主人公らにブチ殺されて当たり前と思える輩でなければならない。実のところ、本作はその根本的なところで失敗しているのである。

もちろん敵の本丸たる「元CIA」は私利私欲のみの傲慢で嫌な男である。傀儡の将軍やその配下も横暴な振る舞いだ。

・・・が、直接的な描写は多くない。記号としての「悪党」、つまり、こいつらは悪いヤツですよ、という設定だけで十分なケースも多々ある。が、本作における主人公らの無敵さ加減と描写の残虐さ加減を前にすると、どうにも釣り合いが取れいるとは言い難いのだ。

スタローン演出は『ランボー/最後の戦場』の路線を踏襲しており、バイオレントな残虐描写が頻出する。味方は無傷(とまではいわないが)なのに、敵方は為す術も無く次々に血祭りというのでは、「丸腰の住民を虐殺するミャンマー軍」とあまりかわらない。いったいどちらが悪人か。

また、祖国を売った父に反抗する将軍の娘、将軍と娘の和解、将軍と元CIAとの決別などというプロットが混入してくるからややこしい。

現地案内人が実は「将軍の娘」だというヒネリは面白い。が、これを活かすには、終盤、例えばこんな展開が必要だ。"将軍が改心し忠実な部下たちと一緒に元CIAを一掃すべく蜂起するも、軍隊を掌握した腹黒い副官の裏切りにより、忠実なはずの軍隊がすべて元CIA側につき一瞬で鎮圧、将軍は娘の手の中で息を絶える。そこ主人公らの怒りのボルテージが上がり・・・"ってな感じ。ね?

この映画では、将軍のいうところの「忠実な部下」たちは、元CIAらが将軍を射殺した後も、思考停止のまま元CIAの私兵よろしく、主人公らの前に立ちふさがり、意味なく虐殺され続けるだけだ。それは、「敵方が私利私欲で2つに分裂し、その混乱に乗じて主人公らが両派を一掃する」話、なら良いのだけれど、将軍と娘のプロットとは全く整合性がとれない。

そんなこんななので、本来熱血盛り上がりになるはずの壮絶なクライマックスも、目的の見えない軍隊相手に主人公らが暴虐を尽くすだけ。そこには悪党を一掃することへの爽快感がない。そんな映画を楽しめるのか?・・・まあ、部分的にはね。スタローンは義理堅く、出演させたスターや格闘家それぞれに見せ場を作っていて、そういうところは好印象だし、例の3人がスクリーン上で一堂に会するところは、そういうシーンがあることを知っていても息を飲む。

ま、最後に長渕剛の日本版主題歌とやらが流れてきて、すべてがどうでも良くなってしまうわけだが; 日本版主題歌は、100歩譲って、せめて吹替版だけにしてくれないもんかね。

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