6/11/2011

The Adjustment Bureau

アジャストメント (☆☆★)


わははは。フィリップ・K・ディック原作の現実崩壊SFかと思って観に行ったら、藤子・F・不二雄の少年SF短篇的「すこし・ふしぎ」な運命的ラブ・ストーリーだった。しかし、なんでこれをアクション映画みたいに売り込むかなぁ?そっちを期待したら、そりゃ金返せって思うだろうさ。

というわけで、これから観る人、これは「アクション映画」じゃありません。「すこし・ふしぎ」なラブ・ストーリーですので、そこんとこよろしく。

我々の運命はどこかですでに決められていて、その大筋から逸脱しないよう役人然とした「調整局」の面々が影で暗躍しているという話。上院議員選挙における有力候補者だった主人公を本来あるべき運命に導くために「調整局」が行った小さな操作。そのことで、出会うべきでなかったはずの女性と出会い、恋に落ちた主人公。2人が結ばれると、未来が大きく変わってしまう。運命からの逸脱を許さぬ調整局はあらゆる手段を講じて主人公と想い人の仲を引き裂こうとする。

調整局の面々は、普通の人の容姿をし、名前を持ち、趣味の良いスーツに身を包み、帽子をかぶっている。不思議な能力や道具を持って、秘密裏に活動し、人類が定められた運命を全うできるように陰ながら活動している。しかし、絶対的な存在ではなく、ヘマを打つこともあれば、ミスもする。うまくいかなかったときは上司の許可を得て、かなり強引な介入行為をすることもある。主人公に本来すべきではない肩入れをし、陰ながら協力したりもする。彼らの活動や存在は公には秘密になっているが、非常時にはその正体を明かし、説明をし、秘密を守るよう説得、強要したりもする。

調整局の面々の活動の拠点と、この世の様々な場所のあいだには「異次元回廊」のようなものが構築されており、一見して普通の扉がその出入口を兼ねていたりする。『マトリクス』のバックドアみたいなものなのだが、ヴィジュアル表現上が限りなく「どこでもドア」に近い。もちろん、それも藤子Fを思い起こさせる理由の一つではあるけれど、調整局と主人公の関係は、歴史の流れを守りつつ人命救助の任にあたるタイムパトロールの活動を描いた『T.P.ぼん』の主客逆転版のようであるし、役人たちとの攻防の果てに、そもそもの「運命」を司る存在への孤独な闘いを挑もうとする展開は少年SF短篇のノリだ。主人公を突き動かすのが、何年にもわたって想い続けたひとりの女性を幸せにし、共に築く未来を手に入れたいという欲求であるところなど、いかにもそれらしい。

お話しの構成は、調整局のメンバーが主人公を説得、丸め込、。しかし女性への思いが断ち切れず、なんらかの行動を起こし、さらに上手な調整局の責任者が出てきて説得、というパターンの繰り返しである。そこにもう少しバリエーションが加わったり、仮に、同じことの反復であっても、それを感じさせない A ⇒A'⇒ A" の工夫があったなら、もう少し面白くなったかもしれない。ヒロインのエミリー・ブラントは最初の登場シーンの魅力が印象的、凄腕調整局員のテレンス・スタンプは、声も表情もそれっぽい雰囲気を醸し出し、こういう役柄にはそれなりの役者が必要であることを実感させてくれる。

フィリップK.ディックの短篇を導入のアイディアに使っている作品であるが、いかにもPKディック、な感覚は希薄である。まあ、これまでの映画化作品だって似たようなものなので、それ自体をとやかくいうまい。むしろ、本来の不安感とは違った意味で、「で、どうなるの?」とワクワクして次の展開を待ち望んでしまうような、ある意味ジュヴナイルな冒険譚のノリのテイストが、なんでもかんでも深刻でダークになってしまう昨今だからこそ、好意的に評価したいと思ったりするのである。

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