6/24/2011

Super 8

スーパー8(☆☆☆★)


1979年の夏、オハイオ州の小さな田舎町で、少年たちの一団が、8mmカメラでゾンビ映画の製作に夢中になっていた。深夜の鉄道駅での撮影中、ものすごいスピードで通過しようとする軍用貨物列車にトラックが激突、少年たちの目の間で大惨事が起こる。米空軍が異様な物量と秘密主義体制で事故処理にあたるなか、町では不思議な出来事が起こりはじめる。そして、少年たちが回していた8mmフィルムには、事故の折に列車から逃げ出した何かが写りこんでいた。

監督であるJJ.エイブラムズが影響を受けたという80年代のスピルバーグ監督作品や、スピルバーグがアンブリンで製作したプロデュース作品が好んで取り上げたモチーフを散りばめながら、少年の一夏の恋と冒険、そして成長を描いた小品である。開巻、エイブラムズのプロダクションであるバッドロボットのロゴに先んじて、あの有名な、ETと一緒に自転車が空をとぶアンブリン・エンターテインメントのロゴが表示されるのは偶然ではなく、なんと、オマージュを捧げられる対象となったスピルバーグ自身が製作に名を連ねるという、ある意味で特別な作品になった。

(そういえば、アンブリンのロゴは映画の最後、エンドクレジットが終わってから映しだされるのが通例だから、映画の冒頭でお目にかかるのはかなり珍しい部類ではないか。)

この作品には『E.T.』や『未知との遭遇』、あるいは、『グーニーズ』といった作品を想起させるモチーフが溢れている。が、一方でそれらの作品との明らかな違いもある。

スピルバーグ自身の監督作における主人公の少年は、どちらかといえば孤独で、ひとり空を眺め「星に願いを」かけるのに対し、本作の主人公は片親という家庭環境こそ似ているものの、それなりに遊び仲間がいて、一緒に夢中になれる遊びがあり、恋もする。そこには、宇宙の片隅にある地球から「星に願い」をかけるロマンの香りや、外の世界に広がっていくスケールの大きさは感じられないし、もしかしたら地球を捨ててあっちの世界に行ってしまうかもしれないという危うさは一切存在しない。そこが、JJ.エイブラムズ(かつての)とスピルバーグの興味関心の違いだったり、作家としての資質の違いだったりするのだろう。

穿った見方をすれば、エイブラムズは自分の興味のある「8mm映画製作に打ち込む少年たちの話」と、「モンスター・パニック映画」をスピルバーグの製作で作るに当たって、商業的な戦略も込めて、「80年代スピルバーグ・オマージュ」というアイディアを持ち込んだのかもしれない。商売上手な彼のことだから、それがウケるんじゃないかという読みもあっただろう。そう言われてみれば、一時期は誰もが類似品を作ったこの手の映画がスクリーンから消えて久しい。予告編にあるある種の「懐かしさ」が映画への興味を掻きたてたことは否定のできない事実だ。

それがたとえポーズだけの話だったとしても、構わない。それが、結果として、これまでのエイブラムズの作品につきまとっていた、「よく出来ているけど、映画というよりはTVドラマ」な雰囲気を抑制し、映画らしい雰囲気をもたらす魔法になっているからだ。

JJ.エイブラムズの、観客の興味を掴んで話さないサービス精神やストーリーテリングの巧みさ、企画屋としての嗅覚・才能には敬意を表していても、彼が撮った劇場作品である『M:I-3』、『スター・トレック』共に、映画の大きなスクリーンを活かせていない画作りが息苦しく、結局はTV屋さんなんだよな、と思っていたものである。また、分かりやすくウケ易い話にするために、「個人的な動機に基づくミッション(M:I-3)」になってしまったり、「シリーズの魅力である理想主義を捨てた敵と味方のドンパチもの(スター・トレック)」になってしまうある種の幼稚さも気に入らなかった。

もちろん本作も、話の仕掛けのわりには小さくまとまってしまった感がないわけではない。しかし、「80年代スピルバーグ」らしさを持ち込もうとした結果、画作りも、ドラマも、これまでとはどこか違った「映画らしさ」を感じられる作品になっていると思うのだ。スピルバーグはこの作品を指して「(誰かの作ったシリーズものを引き継ぐのではなく)エイブラムズのほんとうの意味でのデビュー作」という云い方をしていたが、それとは違う意味で、エイブラムズが初めて撮ってみせた、映画らしい映画、ではないかと思うのである。

バラエティに富んだ子役たちのキャスティングが大変素晴らしい。また、彼らを子供らしくイキイキと演出できているところもよい。そして何よりも、ヒロインを演じるエル・ファニングの魅力と、主人公と彼女の繊細な感情の交歓を描き出してみせたところが本作の一番の見所だと断言したい出来栄えである。

思えば、魅力的なヒロインを描くことができないのがいつもスピルバーグの弱点だった。そこも含めて、エイブラムスとスピルバーグでは、観客を楽しませることにかけてのテクニックや商売人としての嗅覚の鋭さは共通するにしても、全く異なる個性の持ち主だというのは明白なんじゃなかろうか。娯楽映画としての仕掛けの大きな部分に驚きや新鮮味はなくお座なりとも言えなくはないが、主筋であるところの青春物語としては十二分に楽しませてもらった。その部分ひとつだけでも、何度でも見たいと思える作品である。

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