6/03/2011

The Kids are All Right

キッズ・オールライト(☆☆☆★)


なんだよ、この邦題は。オールライト、って日本語があるのか?照明器具じゃあるまいし。中途半端に省略しちゃって、偉そうに。

というわけで、邦題はアレだが、映画は素敵である。カリフォルニア郊外を舞台としたコメディ・タッチのホームドラマなのだが、ご存知のとおり、この映画が描く家庭には「父親」がいない。女性の同性愛者カップルが人工授精で授かった二人の子どもが、親に内緒で「遺伝子学上の父親」と連絡をとったことから、平穏だった日常に波風が立ち始める、というはなしである。

特殊な家庭で発生した特殊な状況を題材にしてはいるが、要は、同性愛者カップルの家庭だからといって、さして特別なことはない、とでもいったところだろう。家族のかたちは多様さを増してきているが、子供たちを愛し、守り、育む機能さえ健全であれば、the "kids are all right" であるということ。また、そうした責任を引き受けるものだけが、家庭をもつ幸せを享受する権利があるのだということを描いているのがこの映画である。まあ、そうした多様性を受け入れる社会の存在が大前提なんだけどな。

一家の大黒柱で責任感が強く真面目な医師、そういう父親的な役回りを担っているのが、アネット・ベニングである。いやあ、彼女にアカデミー賞を取らせてあげたかった。いや、写真で見るとたしかに「ショートカットにしたアネット・ベニング」なのだけれど、映画の中の彼女は立ち居振る舞いからして別人だ。いつになく筋肉質な体つきだし、表情も、セリフ回しも、女性らしからぬものがある。知らない人が見たら、そういう役者さんをキャスティングしたと信じてしまうことだろう。

いろいろ趣味的なビジネスに手をつけてみては中途半端なまま、結局は専業主婦的なポジションで家にいるのがジュリアン・ムーア。このひとは強い母親、妖艶な熟女、欲求不満な主婦役から、ハードで男勝りなキャリア女性までなんでも演じてみせる、"雰囲気"があって幅の広い名女優だが、今回の役はとにかく、可愛い。いってみれば、「ドジっ子」な感じのキャラクターを、あっけらかんと演じるジュリアン・ムーアはものすごく新鮮なので、この作品で彼女のファンが増えるのではないだろうか、と思ったりする。

で、この家庭にたいする闖入者、遺伝子学上の父親を演じているのがマーク・ラファロである。こんな男の遺伝子から、色白ブロンド美人のミア・ワシコーシカが生まれるわけ無いじゃん、というむさくるしい風貌の気のいい自由人を飄々と好演。いかにも西海岸な感じのゆるーい英語の口調がたまらない。しかし、このキャラクターがあまりに魅力的であるがゆえ、映画の中でのこの男が「家庭を持つ責任から逃げているのに、その果実だけを得ようとする身勝手な男」として、どちらかといえばネガティブに描かれていることが分かり難くなっている。逆に、家族に対する責任感でいっぱいいっぱいになっていくアネット・ベニングが悪役にすら見えるのは、ちょっとした演出のさじ加減ながら、失敗なのではないか、と思う。

同性愛者ではない観客の目線では、遺伝子学上の父親が「無責任男」というよりは、描かれている家庭に欠けた要素、もしかしたら生物学的な意味での男性性であったり、自由さ、おおらかさのようなものを持ち込むことができる存在のように見えなくもない。その流れで言うならば、ハッピーエンドの形というのは、変則的な家族における新しいメンバーとして、この男を迎え入れることなのではないか、と思ったりもする。

しかし、この映画の立場や主張は違う。すなわち、同性愛者の作った家庭だからといって、なにかが足りないとか、欠落しているというのは偏見であり、差別的な物の見方であるということだ。また、遺伝上、生物学上の親よりも、「育ての親」が本当の親である、ということだ。だから、責任を引き受けずに美味しいところだけをつまみ食いしようとした「男」の身勝手な行動は否定されなくてはならず、安易に招き入れられるものではないということになる。まあ、正論ではあろう。

この映画の主張やメッセージをすんなりと受け入れることができるかどうかは別として、演技巧者たちの繰り広げるコメディとしてだけで十分お釣りのくる面白さである。アネット・ベニングの凄さに感動し、そしてジュリアン・ムーアの魅力に目を奪われたらよいと思うのだが、どうだろうか。

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