6/03/2011

Chloe

クロエ(☆☆☆)


夫の不貞を疑った妻が、女にだらしがない夫の本性を暴こうと娼婦を雇い、誘惑させて反応を探ろうとする。娼婦の報告で疑惑が確信へと変わるだけでなく、夫と娼婦とのあいだで行われた秘め事を聞いて想像をふくらませた妻は、ただならぬ感情に苛まされるようになる。すべてを精算しようとした妻が知る真実とは。2003年の仏映画『恍惚 (Natarie...)』のリメイクで、監督はアトム・エゴヤン。夫がリーアム・ニーソン、妻がジュリアン・ムーア、娼婦がアマンダ・セイフライド。

ジュラール・ドパルリューとエマニュエル・ベアールが出演しているオリジナルは未見。で、エロティックな罠による浮気夫への復讐譚かと思ってみていると、寝取られ属性に目覚めて悶える妻の話になり、そのままどこまで変態的な展開になるかと期待して見ていると、娼婦と妻のレズ・セックスの映画になり、ハリウッド調サスペンスで幕を閉じる。なんじゃそりゃ。

この2ヶ月ほど、『ジュリエットからの手紙』、『赤ずきん』に本作と、3本立て続けに出演作が公開されて、ときならぬアマンダ・セイフライド祭りとなっている。ここ最近の「女子映画」の顔といってもよい彼女が、エロティックに誘惑する娼婦を演ずるというのでどういう風の吹き回しかと思ってみてみれば、なんとことはない、大きな意味で、いつもとおんなじ路線の役柄だ。もちろん、いつになく積極的に脱いで男性観客の目を楽しませてはくれるけれど、男の望むセックス・オブジェクトを演じているのではなく、「男の望むセックス・オブジェクトを演じている女性」を演じているのである。もうひとつついでに、彼女の役柄の視点からこの物語を再構築してみれば、「仕事として客の望む姿を演じ続けてきたひとりの孤独な女性が、ふとしたきっかけで知り合った相手に叶わぬ一方的な恋心を抱く」という話なのだ。

一見して、欲求不満のセクシーな中年女性が性悪女にひっかかるエロティック・サスペンスとしてパッケージングされてはいるが、実は、それは商売上のひっかけに過ぎない。本作が、この娼婦のモノローグで幕を開けるのも、映画のタイトルが彼女の名前であることも、まあ、あとになって思えば、これが本当は「彼女」の物語であることを示唆しているのだ。なるほどね。

「クロエ」という女性の視点で見ることによって、『ルームメイト』のジェニファー・ジェイソン・リーとか、『危険な情事』のグレン・クロースとか、男が観ると恐怖の対象でしかないんだけど、どこか孤独で哀しい女性たち、平和な生活に侵入し破壊する異端者として哀れみを誘いつつも、最後には残酷に排除されていく女性たちの系譜が見えてこないだろうか。だから、この「娼婦」の役は、単なるセクシー美女俳優ではなく、むしろ女性観客に共感を呼ぶ役柄ばかり演じ続けているアマンダ・セイフライドだったということだ。ちぇ、こいつ別に好きな女優じゃないんだけどな。目と目のあいだが離れたヘン顔だし。

リーアム・ニーソンはにやけ顔の女好きなのか、単に愛想がいいだけの真面目な堅物なのか、どうっちにでもうけとれる曖昧さで観客をミスリード。ジュリアン・ムーアは本当に巧い女優さんだし、こういう役はお得意とするところ。アトム・エゴヤンの演出は、商売上の要求とドラマ上の要求をバランスさせながら、ジュリアン・ムーアの物語としても、アマンダ・セイフライドの物語としても成立させており、かつ、安っぽくならない程度に変態ぽいところもいい。製作にアイヴァン&ジェイソン・ライトマン父子の名前があって、ってことは、実質これは、カナダ映画ってことですか。舞台もトロントだしな。

しかし、クロエには違う結末を用意してあげたかったな。この手の映画ではもう、ああいう終わり方をしないと観客が納得してくれないとでも思ってるのかね。

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