ツリー・オブ・ライフ(☆☆☆★)
Way of Nature か、 Way of Grace か。
ショーン・ペン扮する中年男が自らの少年期を回想するホームドラマというのであれば、誰にでもわかりやすい映画になるんだろう。が、宇宙、生命の誕生から説き起こす、生命の歴史とその行く末の中に、一家族の歴史における一断面を配置してみせるという大胆な構成によって、何か全く別の、敷居の高い作品になっているのは事実である。
こういう映画を全国津々浦々のシネコンに拡大し、騙すようにして観客を動員する手法は、最終的に誰も幸福にはしないだろうと強い危惧を覚える。ここ最近のテレンス・マリックの作品の中でも最も抽象度が高い作品である。
それはともかくとして、この映画は結局のところなんなのか。要は、行き詰まった世の中を、具体的な事象として家族のドラマ(説話)に代表させると同時に、その原因を、生命の誕生以来連綿と続く、あるがままの欲望に支配された 「Way of Nature」というあり方に求め、「個」を超越したより大きな世界観において「Way of Grace」を実践することでしか高次の段階に進むことができない、という悟りに導かんとする映像説法のようなものなのだ、と思えばよかろうか。
えー、「我欲を洗い流す」って、くそったれの石原某みたいで気に入らないのだけど、まあ、ある程度そういうことだろう。
ヨブ記などを持ちだしてくるからキリスト教的世界観に基づくものと誤解をしがちだが、だいたい本作の作りからして進化論が土台になっているのだから、そういう思い込みはよくないだろう。むしろ、 より根源的で普遍的に、今日を生きる困難や不幸と対峙するための思考を提示しようとしているはずである。
ホームドラマ・パートでの、素人子役を含む役者たちから演技を引き出してフィルムに定着させる力、なんでもない風景を魔法がかかったように美しく切り取る撮影、流麗な音楽に乗せて的確につないでいく編集のリズムとセンスは超絶的に素晴らしく、さすが、マリックだと思わせる。これは、映画館の暗闇で、最高の上映コンディションで鑑賞する価値があるフィルムである。まあ、あまりの心地の良さに眠気を誘われる可能性も高いので、万全の体調で望む必要があるのはいうまでもない。
それ以外、というか、天地創造パートとでもいうべきところは、およそ30年ぶりにダグラス・トランブルを引きずりだして作られたオールドスタイルの特撮も含んでいる。提示されるイメージ自体に新規性や驚きはないのだが、むしろ、これらの一連のシーンを、ネイチャー・ドキュメンタリーと同じレベルに感じさせる見せ方と、さりげないクオリティの高さであろう。
また、これはフィルムの出来栄えとは違った次元の話ではあるのだが、本作が『2001年宇宙の旅』を手がけた「特撮の神様」トランブルの参画を得たことは、本作が件のキューブリック作品に比肩しうるテーマの大きさを内包した作品であることを象徴的に物語っているようにも思われる。そういうことを考え始めると。「ドナウ」に対抗して「モルダウ」だったのか、などと、選曲ひとつについても深読みをしたくなったりする。もしかして、本当にそうなのか?
『シン・レッド・ライン』のように、美しい映像に延々と登場人物の内面を語るモノローグが被さってくるのに比べれば数段刺激的である。もちろん、プロットとかストーリーを中心に映画を観るのであれば、これはそもそもそういう類の映画ではないし、大胆といえば大胆、唐突といえば唐突な映画の構成に、それを面白がりながらも、反面、戸惑いを感じずにはいられない。先に書いたように、人生を思索する上においては大変魅力的で実験的な映像説法であると結論付けておくことにする。
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