10/22/2011

Captain America: The First Avenger

キャプテン・アメリカ ザ・ファースト・アベンジャー(☆☆☆)


ジョー・ジョンストンは勘違いをしない。いつだって分をわきまえた娯楽映画を撮る。古くは『ロケッティア』、『ジュラシックパークIII』、そして近作『ウルフマン』。どれも、お腹がいっぱいになるような超大作ではない。でも、期待すべきものが何なのか"分かっている"観客を、きっちり楽しませる真っ当な娯楽映画だ。マーヴェルが「アベンジャーズ」映画化に向けて着々と進めてきた前座作品群のなかで最後のピースとなるこの『キャプテン・アメリカ』もまた、そんな1本だ。題材を思えば、上出来なんじゃないか。

舞台は第二次世界大戦期。ナチス・ドイツが欧州を席巻し、孤立主義を捨てた米国が重い腰を上げて参戦したころだ。ヒトラーが砂漠で(たぶん)「失われた聖櫃」を探していた頃、北欧神話の主神オーディン由来ということになっているオカルト・アイテム(=コズミック・キューブ)を捜すナチスの特殊科学部門転じた「ヒドラ党」を敵に、レトロ風味の戦争冒険活劇という体裁になっている。

さりげなく(ジョー・ジョンストンが特撮で参画した)『レイダース』を匂わすあたりがナイス、オカルト・アイテムつながりで『マイティ・ソー』、そして来るべき『アベンジャーズ』と接点をもたせるはクレバーなアイディアか。

映画の送り出し手、作り手として考えることは、この現代、世界中の人々が嫌な気分にならずに楽しめる作品にすることだろう。だいたい、キャプテン・アメリカ、とその名を聞き、星条旗モチーフのコスチュームを見ると、誰だって胡散臭いものを感じてしまう。国家の価値観を体現する尖兵か、と。

この映画では、「国」の思惑で作られたキャプテン・アメリカだが、その存在を国やその政策と一体不可分のものではないと、明確に一線を引いてみせたところが良いと思う。

主人公は盲目的な愛国者などではなく、「友人や仲間思いで、正義感のある高潔な精神の持ち主」である。そんな彼が、政治家の売名行為につきあわされて戦時国債の拡販に利用されるという描写は、本作で最も重要なところだ。そこにイーストウッドの『父親たちの星条旗』が被って見えたとしても偶然ではない。そんな「作られた(失意の)ヒーロー」が、損得や誰かの命令でなしに、敵地に囚われた友人や仲間の救出に乗り込んでいくことで「真のヒーロー」になるというストーリー・ラインは感動的ですらある。

敵の設定にも気を使っている。そりゃあ、いくら第二次大戦を背景にしていても、星条旗男が他国の軍隊を蹴散らすというような話では、あまりよろしくない。だから、直接対峙する相手は、ナチスの一部門といえど、「異形の姿となった悪の首領と、それに従う秘密結社」なのだ。その首領が「レッドスカル」などという名前の「赤ドクロ」姿だというのだから、馬鹿馬鹿しくもあるが、昔懐かしき活劇の世界だ。「ハイル・ヒドラ!」の両手上げポーズの間抜けさがそれに止めを刺す。これは、そういう作品として楽しんでくれということだろう。

主人公のキャラクターによるところもあるが、ヒロインとのプラトニックなロマンスも古風でロマンティック。アクションはことさら派手ではないが、見せ方はこなれていて危なげない。美術がなかなか頑張っていて、時代の雰囲気にコミック調の意匠を上手く馴染ませている。3D効果はあまり感じられないが、シールドが画面から飛んでくるところだけは大迫力であった。

「最後のピース」であることも手伝って、マーヴェル他作品とのつながりが数多く登場し、「予告編」で幕を閉じるのだから、なんか釈然としないものを感じる向きもあるとは思うが、同シリーズのなかでも他とは違った個性、他とは違った雰囲気を打ち出していて、これはこれとしての新鮮な楽しさがある。「冷凍になっていました」で、東西冷戦時代を、もしかしたら対テロ戦争すらも飛び越してしまう力技には笑った(都合のよろしいことで)。しかし、「アベンジャーズ」とは別に続編の企画もあるのだろうが、現代を舞台にすると本作独特の面白さは消えてしまうのではないかと心配になる。さて、どうするか。

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