10/23/2011

Rise of the Planet of Apes

猿の惑星 創世記(ジェネシス)(☆☆☆★)


もうね、猿、猿、猿なんだ。ゴールデンゲート・ブリッジでの攻防は、考えてみればスケールが大きいとはいいかねるんだけれども、大変に盛り上がるクライマックスではあった。上出来の娯楽映画。

『猿の惑星』の前日譚というか、『猿の惑星・征服』のリイマジネーション版というか、『猿の惑星』フランチャイズを、エピソード0からリブートする試みみたいなもの、といったところだろうか。過去の『猿の惑星』シリーズへのオマージュはあるが、直接の前編・続編ではなく、スタジオ介入とスケジュール&予算問題で当初構想通りに作ることができなかったティム・バートン版とも関係ない、新しいシリーズの開幕である。これ1本でも完結しているが、なにがしかの続編を作るだけのネタと伏線はいろいろあることだし、これだけヒットしたんだから、続きを作らないという手はないはずだ。

この企画が上手く入った理由の一つは、第1作のリメイクでもなく、直接の前編・続編でもなく、まるで「バットマン」や「スーパーマン」が違う作り手によって何度でも再生されるが如くのやり口で、現代を舞台に「フランチャイズ」としての新しい起点を打ち立てたことにあるだろう。もうひとつは、ロバート・ゼメキスやピーター・ジャクソン、ジェームズ・キャメロンらが取り組んできたパフォーマンス(エモーション)・キャプチャーとCGI 技術の成熟によって着ぐるみや特殊メイクでなく、ただのCGI アニメでもなく、猿に人間の演技と感情を吹き込むことが可能になったことだ。

話自体はそれほど工夫があるわけでもなく、ベイ・エリアだけで展開される物語のスケールも小さい。が、あるべき要素があるべきところに収まり、観客が無理なくアンディ・サーキス演じるチンパンジーの「シーザー」に感情移入できる流れを作っただけで、これだけ面白い映画になるというのがある意味でとても興味深いことだと思う。敢えて逆説的にいえば、「猿の惑星」といいながら、無理なくストーリーを語れる範囲、「猿のサンフランシスコ」で話を止めたことが良かったのだろう。ラストシーンは、その先に待っている世界を想起させるのに十分である。

演技については、ともかく、本人の顔は見えなくとも「ゴラム」、「コング」に続くはまり役(というのか?)を得たアンディ・サーキスが全てではあるが。こういうのは演技賞ではどう評価されるのだろうか。一応、エンドクレジットのトップに名前が上がってはいるのだが。

ジェームズ・フランコ演ずる(人間側の)主人公は、あまり賢そうな科学者には見えないが、実質的に脇役だと思えば、こんなんでもOKだ。この男、アルツハイマーの父親への強い思いから、結果として投与された猿の知性を加速させる新薬開発にのめり込んでいったという動機が与えられているのだが、この「父親」役に、久しぶりにスクリーンでお目にかかるジョン・リスゴーというキャスティングが嬉しい。なにせ、この人はかつて『ハリーとヘンダスン一家』で毛むくじゃらの「ビッグフット」と異種交流を温めた張本人だから、やはり何かの縁があるのだ。トム・フェルトンは「ハリポタ」を離れてもなお憎々しげな小悪役とはお気の毒だが、それはそれ、観客の中にあるドラコ・マルフォイの記憶をなぞった効果的なキャスティングではあっただろう。

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