3/31/1999

The Matrix

マトリックス(☆☆☆☆)

サマーシーズンを待たずに3月末などという中途半端なタイミングで公開されるキアヌ・リーヴス主演のアクション映画だというので、さして期待もせずに気楽に見に行き、それほど混んでもいない劇場でで見た。しかし、これがあまりにも面白いので、バカにして見逃すことのないよう、珍しく周囲に触れて回っているところだ。『バウンド』で注目された、ウォシャウスキー兄弟が、ジョエル・シルバーのもとで完成させた、ヴィジュアルも鮮烈なSfi アクションである。

主人公は、表の世界ではコンピュータ・プログラマ、裏の世界では腕利きのハッカーとして生活している。ある日、「彼が現実だと思っていることは、地球を支配する人工知能が作り出した仮想現実に過ぎない」と主張する男たちが現れ、後戻りできない世界へと主人公を誘う。主人公は、彼らのいう “The One”, 特別な存在として、人類の真の解放のために戦うことができるのか。

ともかく、圧倒的に新しい映像世界が、作品世界がそこにあるように感じた。いや、部分部分を見れば、どこかで見たことあるものの集合体で、日本のアニメ、数々の先行するSF、香港スタイルのガン・アクションやワイヤー・ワークなどの影響や引用で埋め尽くされているのだが、それらを自分たちなりに消化して、最先端のCG技術と撮影技術で料理してみせた結果、総体として、これまでに見たことのない「クール」な作品に仕上がっているのである。

映像として格好良いが、単に格好が良いというのとは違い、その映像のスタイルに物語上、世界観上の必然性とがある。物語とヴィジュアルの必然的な結合だ。

止まった時間の中でカメラだけが自在に動きまわり、超現実的なアクションが展開され、薬莢が雨あられと飛び交う。その様は、笑ってしまうくらいに過剰である。そして、あまりのことに唖然としてスクリーンを見つめる。普通ではありえない。しかし、こんなことが可能なのは、この映画が「仮想の電脳空間」で展開されているからだ。

設定が映像に必然性を与え、映像が設定を裏打ちする。スタイルや撮影技術だけならば後続する作品がこぞってこの映画の真似をするだろう、しかし、本作が持ち得たような説得力は決して持ち得ない。そんな意味で、この作品のオリジナリティは強く担保されることになるだろう。

どうしても派手なアクション・シーンにばかりが目についてしまうのだが、コミックの世界から出てきた監督だけあって、構図、色彩設計、ライティングなどがいちいち決まっている。ヘリコプターを使った大掛かりなスタントの撮影も含め、撮影のビル・ホープの貢献は大きいだろう。

敵味方のキャラクターも魅力的に描かれているが、半分以上は脚本よりもキャスティングの成功によるものだ。主人公の仲間となる大きな身体のローレンス・フィッシュバーン、しなやかな身体と大人の色気があるキャリー・アン・モス、敵となる人工知能が差し向けるエージェントを演じるヒューゴ・ウィーヴィング、そして預言者を演じる黒人女優グロリア・フォースター、それぞれの容姿や持ち味がキャラクターを見事に決定づけている。見て分かる、画で語る、それは、キャスティングにまで貫徹された原則になっている。

スローモーションや飛び散る薬莢、2丁拳銃など、香港スタイルの模写が、VFXで超現実的なレベルにまでパワーアップ。コレオグラフィも見事である。ガンアクションと並び、本作のもう一つの柱が香港から招いた達人ユエン・ウーピンが手がけるマーシャル・アーツとワイヤーワークだ。キアヌ・リーブスも、これをこなすのに相当苦労したんじゃないか。もちろん、本場のそれとは比べものにならないヘッポコぶりなのだが、物語設定上、それゆえのリアリティというか、それすらも必然的なものとして見えてくるところが面白いと思う。

まあ、高級な部類の作品ではなく、最強のB級映画と呼びたい、本来カルトな嗜好に訴える作品である。。色々考えだすと荒っぽいところが目についてくるのだが、見ている間それを忘れさせてくれるだけのパワーには溢れた傑作である。主人公が自らの使命を自覚し、次なる闘いに向かうエンディングは、続編への布石という話ももちろんあるにせよ、それ自体が痺れるかっこ良さであった。

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